「徳田球一」を事実上抹殺した日本共産党

本日で創立97周年を迎えるという日本共産党だが、この創立記念日とされる7月15日が実際に本当の創立日であったかどうかについては、研究者の間からは多くの疑念が寄せられている。歴史の史実としては、昭和3年の大弾圧で刑事裁判にかけられた多くの党員たちが、裁判の中で創立日を聞かれても各自の供述がバラバラで裁判的に統一する必要があった。その際、徳田球一が言ったあてずっぽうの7月15日で統一されたという経緯があったようだ。この日に何か創立の大会があったとか、そういうわけではないとされる。

現在、この党は、創立記念日の決定に大きくかかわった徳田の名前を表に出すことはない。本日の紙面にも「徳田球一」の文字はどこにもない。徳田は戦後の日本共産党を再建した主要人物の一人だが、現在の同党最高幹部である不破・志位の師匠である宮本顕治とは、党内における政敵の関係にあった。そのため宮本一派の流れでつくる現日本共産党は、事実上、徳田の名前を「抹殺」している格好だ。

党創設に大きな貢献をした人物をなんら宣揚せず、自分たちの一派のみを持ち上げる日本共産党。この党のどこに「平等」という精神があるだろうか。徳田は沖縄県名護市出身だが、沖縄においても徳田の名前が宣揚される場面はほとんど見られない。

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