とうとう創価新報に書かれた「波田地克利」

創価学会の青年向け機関紙「創価新報」の最新号(3月20日号)に「退転・反逆の輩 波田地克利とその一派」「週刊誌などデマ記事もとに煽動」という記事が出ていた。波田地はもともと創価新報の記者をしていた人物で、その後、教団を除名。今では古巣の新聞から批判記事を掲載される事態となっている。 この人物は第二次宗門問題の際、学会側で活躍し、その功績を認められて本部職員に引っ張られた。その後、日蓮正宗から自宅を違法盗聴されていた事実が発覚し、提訴したまではよかったが、完全勝訴できなかった恨みを、教団執行部や弁護士らに向けるようになり、信仰がおかしくなった。自分のふがいなさを他人のせいにするというのは世間ではよくある話かもしれないが、法華経の信仰の世界では厳しい。このような「三流の信仰」から、いまの転落へと結びついた。 昭和32年、若き日の池田室長は戸田2代会長の命を受けて、参議院大阪補選の指揮をとった。部下の選挙違反事件が発覚し、選挙は惨敗。さらに刑事事件となる結果となり、池田室長も逮捕される。戸別訪問容疑の刑事被告人のまま、池田室長は1960年、会長就任を余儀なくされる。池田新会長は、亡き戸田会長の「裁判長は必ずわかってくれる」との言葉を胸に抱きしめ、会員を守るために自身を投げ打った。結果、無罪判決が出て、その後の創価学会の大きな発展が進んでいく。 一方、波田地は自分の敗北を、教団執行部のせいにし、いまでは日蓮正宗と結託して、逆に教団攻撃に励んでいるとされる人物。 池田名誉会長は昭和32年の事態の中で、敗北の責任を戸田会長に責任転嫁しただろうか。大阪の多くの学会員は、敗北の責任を池田室長のせいにしただろうか。 ここに波田地の信仰レベルとの違いが、はっきりと出ている。波田地の現状は、どこまでいっても、信仰の姿勢が「失格」のレベルであったことによる必然の結果にすぎないということだ。

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