空手雑感 22

沖縄空手界の中興の祖といえる人物に糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)がいる。空手の主要な型の名称はサンチンにせよ、ナイハンチにせよ、そのほとんどが福建地方の中国語から来ているとされるが、糸洲は自ら平安(ピンアン)の型を創作し、学校教育用の型として普及させたことで名を残している。「明治の拳聖」とも評されるこの人物について、ピンアンをつくったことからそのまま首里手の代表ととらえがちだが、本人の流儀は首里手4分、那覇手6分というもので、実際は那覇手の使い手といったほうがよいものだったようだ。時代的に剛柔流という流派名はまだ登場していない段階だが、その事実は、糸洲の空手の実像を正確に理解するには不可欠なことと思われる。

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