徳田球一の死去から65周年

日本共産党の創設メンバーの一人で、同党の戦後の初代党首(書記長)であった徳田球一が中国で他界して65周年となる。当時、同党は日本で暴力革命を起こそうと模索しており、徳田の死亡は2年近く、伏された経緯がある。当時の共産党は表の組織と地下組織に2分されていて、地下組織が「中核自衛隊」という名のもと、国内で軍事行動(現在でいうところのテロ活動)を繰り返した。当時の自衛隊はまだ「警察予備隊」と呼ばれていた時代で、「自衛隊」の名称を先に使ったのは日本共産党のようである。

本日付のしんぶん赤旗には「大破たんした安倍政治終わらせ 希望ある新しい政治つくろう」の大見出しが躍っている。安倍首相がウソだらけの首相であることはもはや疑うまでもないが、共産党が「希望ある新しい政治」とかけ声をかけているのはやはり滑稽に感じられる。65年前の「アカハタ」を見てみると、そのときも「平和の政治をつくろう」などの掛け声を発していた。自分たちは罪のない人びとに暴力をしかけていたにもかかわらず‥。同党の現実の行動と、プロパガンダとのギャップは、今も昔も変わらないように感じる。

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