「恣意的」社会主義の党

日本共産党の不破哲三が好んで使ってきた言葉に、「自分たちは科学的社会主義の政党」というものがある。はて、科学的とはどういう意味であろうか。私の解釈では、必然的に社会主義という正しい道にたどりつくはず、といった趣旨に感じられるが、客観的にはあくまでも彼らの願望にすぎず、プロパガンダの類いにすぎない。

科学的どころか、実際は「変節的」社会主義と呼んだほうがよいだろう。

もともとロシアで最初に成就した社会主義革命はソ連から始まった。日本共産党ができたのは、ロシア共産党のおかげであり、それなしにはできなかった。彼らは共産主義の世界制覇をめざしたが、多くの国でその実験は失敗に終わり、ソ連でも見事に瓦解した。その間、世界で殺した人数は数知れず。これらの歴史のどこに「科学性」があるのだろう。はっきりいえる科学は、社会主義は多くの人間を殺す(犠牲にする)という現実である。

日本共産党も、わが国で警察官などを対象に、「人殺し」に力を入れた時代がある。

だからこそ、現在の同党は、自分たちの路線のみが正しいと主張することで、居直り続けている存在にすぎない。それらの経過のどこに「科学性」があるだろうか。

志位和夫氏には悪いが、どこまでもシイ的、「恣意」的な社会主義にすぎない。

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