★堕ちた生き方  「反逆者」に見る共通パターン 4

 最近の除名者といえば、この人物を抜きに語ることはできない。田口と組んで教団攪乱行動にまい進してきた「オタク」の波田地克利(58)である。
 波田地は92年1月に教団本部職員入り。第二次宗門問題における功績を認められ、中途採用で引っ張られた。以来、聖教新聞社に籍を置き、青年部向け機関紙「創価新報」で仕事をした時代が長い。同人の「逆恨み」の感情を高めたのが、自身が日蓮正宗側から電話盗聴されていた事件の発覚であり、さらに自らの提訴、結果的に実質敗訴で終わった事件であったとされる。この結末をめぐって、関係者と心理的に対立し、教団の弁護士らに悪感情を抱いた。「妙観講に勝てなかったのはお前たちのせいだ」という気持ちの発露である。こうしたトラウマが背景となって、波田地の「不祥事」へとつながっていった面もあるようだ。
 同人が聖教の職場を追われたのは2006年8月。教団に関する情報を外部漏洩したことなどを理由に、論旨解雇となった。重要なのは、このとき波田地本人は処分を受け入れる姿勢を示したことだろう。身に覚えがあったからと見るのが自然である。
 その後、教団関係者による温情とも思われるが、翌年から教団の広告系の関連会社に職を得て、働き始める。この時代に彼は、自己正当化の心情と逆恨みの感情をさらに強めたようだ。親会社であるはずの教団の最高幹部数人に対する批判活動を始める。それらはいつもながらのコソコソとした隠密行動だったようだが、あるとき発覚。子会社の社員が親会社の役員を批判したのだから、二度目の職場を追われることになったのも当然だった。以上は2013年の秋のこと、それからまもなく教団から除名処分の通知を受け取った。
 彼は長年にわたり、分派活動を続けてきた。メーリングリストを事実上主宰し、15年以上も継続していた。さらにオフ会と称する泊まりがけの勉強会に関与。メーリングリストでは、「本物の弟子たち」によって最高幹部を「倒さなければならない」などと参加者を“扇動”し、破和合集団を形成する主体者としての行動を問題視されることになった。
 このように、【不祥事 → 自己正当化 → 逆恨み → 処分(解雇・除名) → さらなる批判活動(自己正当化を含む行動)】の方程式は、波田地本人にもそのまま当てはまる。

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