日本共産党は核兵器反対の立場だったといえるか 5 

草の根平和団体「分裂」の原因となる

本日付の「しんぶん赤旗」(2面)に、北朝鮮のミサイル発射の記事が出ている。見出しには「米国の脅しに核の力で対抗 核なき世界の流れに逆行」とある。

いまから56年前にも、同じように米国の脅しに核の力で対抗しようと、大規模核実験の再開を表明した国があった。だがそのときは、日本共産党は「核なき世界の流れに逆行」とは主張しなかった。これまで見たとおり、以下のように主張していた。

「核実験再開 ソ連声明は平和の保障」(9月6日付)

「戦争挑発防ぐ措置」(9月9日付)

要するに、ソ連を狂信する人々の集団にすぎなかった当時の日本共産党は、客観的に冷静に判断する余裕がなかった。しかも日本共産党の行動は、日本社会に根づきつつあった草の根の原水爆禁止運動にも大きな亀裂をもたらす結果となった。

偶然ながら、本日付の朝日新聞には、ベタ記事で、「福島で原水禁世界大会」の記事が載っている。29日に福島市で原水禁(旧総評系)の世界大会が開幕したとあり、一方で、原水協(共産党系)の世界大会は8月5日に広島市で始まると書かれている。

1961年当時、「原水協」一本でまとまっていた原水爆禁止を求める草の根運動は、日本共産党がソ連の核実験を認める方向にかじを切った結果、ソ連にも抗議すべきだと主張する旧総評系(旧社会党系)の反発を受け、組織が二分化される結果となった。その後、草の根組織は分裂してしまう。

歴史を振り返れば、共産党がもしもあのとき、本日の「しんぶん赤旗」の紙面と同じように、ソ連の核実験再開声明は「核なき世界の流れに逆行」すると主張していれば、日本の原水禁運動団体が分裂することもなかったかもしれない。

 

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