日本共産党は核兵器反対の立場だったといえるか 4

「ソ連とアメリカの核実験を同一視するのは間違い」と平然と主張

昭和36年ごろといえば個人的に思い出すことがある。過去に日本共産党と北朝鮮との関係を個人的に調査した際、当時の『アカハタ』をひっくり返して感じたことだ。北朝鮮帰国事業が始まるのが昭和34年12月。その前後の同紙をながめて驚いたことは、北朝鮮のことを当時はあれほど「地上の楽園」と持ち上げていたにもかかわらず、その後は全く違う態度をとっていたことだ。そのことは対ソ連においても、まったく同様である。

西のアメリカと対比し、東のソ連は同じ共産主義を信奉する同志であり、かつ大先輩であり、親ともいえる存在だった。その証拠となるのが本日紹介する、当時の日本共産党トップであった野坂参三議長の言葉だろう。同党は9月9日付のアカハタ号外で1面すべてを費やし、「野坂議長と一問一答」「ソ連の核実験再開と日本人民」のタイトルで、野坂の見解を発表している。そこで野坂は次のように説明する。

「たとえ『死の灰』の危険があっても、核実験の再開という非常手段に訴えることはやむをえないことです」

「ソ連は、その社会体制のなかに戦争を生みだす要因を全然もたぬ社会主義国です。ソ連の軍事力が侵略戦争のためのものではなく、逆に侵略戦争を抑え、世界平和を確保するうえで決定的な役割を果たしてきた‥」

さらにソ連の核実験再開については、以下の理由で正当化する。

「ソ連政府の思い切った手段は、アメリカ、西ドイツ、その他の戦争屋どもに、もし戦争をしかければ、決定的にやっつけられることを、具体的事実をもって示し、かれらの危険な計画を実行することをちゅうちょさせ、あるいは、一応、思いとどまらせる効果をもたらすことは確か」

要するに、社会主義国は戦争を生み出す要因のまったくない「理想の国家」であり、一方でアメリカを中心とする西側諸国は侵略戦争を起こす「危険な国家」であり、なおかつ「戦争屋」にすぎない。そんな「戦争屋」どもに、ソ連の核実験を見せつけることで、相手から戦争する意欲をなくさせる。いったいそのことに何の問題があろうか、と言っているわけである。

その結果、先の原水禁世界大会で決議された、核実験を再開した国は「平和の敵」「人道の敵」とした決議内容について、野坂は、「率直にいって、決議のこの部分は不用意な表現であり、正しいとはいえません」と述べた上で、彼の考え方を端的に示す。

「ソ連の行う核実験と、侵略的な帝国主義のおこなう核実験とを同一視して、無差別にソ連を平和の敵と断ずることがどんなにまちがっているかわかると思います」

要するに、野坂は、侵略的帝国主義の代表たるアメリカの核実験と、ソ連の核実験とを「同一視」することは誤りである、と断言しているわけだ。

半世紀以上すぎた現代からこの行動をふり返って、当時の日本共産党の主張が「正しい主張」だったとは到底いえない。

ちなみに当時の共産党のツートップは野坂議長・宮本書記長だが、その後、宮本委員長・不破書記局長へ、さらに不破委員長・志位書記局長へ、そして現在の志位委員長・小池書記局長へと体制がつながっていく。野坂参三は死後にスパイ容疑で党を除名されたいわくつきの人物だが、当時の宮本顕治書記長は不破哲三氏の直接の上司であり、半ば師匠でもあった。当時の政策的な誤りは、今の体制に責任はないと言い逃れしようとしても通用するものではない。日本共産党の確たる過去の歴史にほかならないからだ。

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