妙観講幹部盗聴事件における波田地の責任

 日蓮正宗妙観講の最高幹部を歴任した人物が日蓮正宗と創価学会の対立がピークに達した1991年に、創価学会幹部などを違法盗聴していた問題で、波田地一派が盛んに言い訳を行っている。自分は何も悪くない、悪いのは葬儀社だ。悪いのは当時の青年部幹部だ。こうした主張に尽きる。
 もともと先行訴訟といわれている梅澤訴訟と波田地訴訟だが、少なくとも私の知る限り、波田地訴訟は、波田地本人が自分から「裁判を起こしたい」と述べて始めた裁判である。訴えを起こしたのは原告本人であり、教団側から裁判を起こしなさいなどと強制されたわけでもない。
 その上で、結果として、冒頭の妙観講幹部が違法盗聴を行った事実は認定されたものの、その幹部が一貫して行った「大草一男講頭の指示により盗聴した」との主張は、裁判では認められなかった。また同じ結果が最高裁判所で確定したことにより、その後のすべての関連訴訟が、その≪判例≫の影響を受けることになった。
 当方は、波田地本人がこの件について、どのような主張を行っているかは承知しているつもりだ。当方が問題としているのは、そうした一切合切を含め、自身の結果はすべて自身の責任であるというごく当たり前のことである。そうした姿勢が波田地には微塵も感じられないので、法華経の信仰者として、それは違うんじゃないのと疑義を呈しているのだ。
 反逆者の特徴的な傾向として、一切の責任を認めようとしないという明確な共通項がある。波田地もその範疇にあるように見えるから、あえて指摘していることである。

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