なぜ共産党ではダメなのか ~ 自らの存在意義を隠して活動する政党

日本共産党が今回の都議選は「自公VS共産」だといまだに強弁している。だが実際は「都民ファーストVS自民」というのが有権者の大方の見方ではないだろうか。共産は埋没をおそれるあまり、築地市場の移転問題もいいように扱ってきた。以下は個人的見解になるが、共産党はなぜダメなのか、簡単に列記してみる。

まず第1に、有権者に対して極めて「不誠実」という点があげられる。政党は団体・組織である以上、その存在意義というものが存在する。日本共産党の最大の存在意義は、自分たちの力で日本を共産主義国家に変えてしまうことだ。にもかかわらず、そうした主張を彼らが選挙で行うことはない。日本共産党の存在意義はこの国では認められないものであることを彼ら自身もよく認識しており、自家撞着の状態にある。つまり、彼らの政治的な各論的な主張は、すべて上記の大前提を“素通り”した上でのものであって、これらの行動を指して「不誠実」極まりないと私は述べているのだ。

第2に、上記と付随するが、彼らの存在意義は、すでに時代に取り残された「遺物」にすぎない。もともとコミンテルンの日本支部として設立された日本共産党は、かつてはソ連の部下にすぎなかった。また他の社会主義国は、同じ目的をもつ友好国であり、「兄弟党」という関係にあった。日本共産党にとって、中国共産党も、朝鮮労働党も、その他多くの共産党もかつては「兄弟」だった。にもかかわらず、いまでは「日本共産党こそ、ソ連共産党の横暴と最も厳しく戦ってきた政党」などと宣伝してきた。要するに、彼らの歴史には≪普遍性≫あるいは≪一貫性≫という文字が見事に欠落している。その時その時で都合よく、自分の姿を変え、有権者を欺いてきた。同党の不誠実さは、その意味でも「ダブル」の酷さといえよう。

第3に、もともと上記のように存在自体に根本的矛盾(ウソと言い替えてよい)を抱える政党であるため、現実政治の中でも、ウソをつくことに抵抗がないという事実であろう。そうした行動は、上記の根本的矛盾から必然的に出てくるものと考えられる。

例えば、議会で何回か先行的に質問しただけで、何らかの政策が現実化した際には「私たちが実現した」と宣伝する。実際に汗を流し、血のにじむような苦労を担った他の政党や人物がいたとしても、自分たちは口先だけの行動で、実績を総横取りする態度を平然ととる。こうした独善的行動を他の議会人は嫌悪し、だれも共産党と一緒に行動をとろうとしないのは、当たり前の話であろう。その結果、彼らにはほんとうに誇れる実績などというものが存在しないため、なおさら虚偽のプロパガンダで有権者を欺き、票をかき集めるしかなくなってしまう。

国政の安倍政権は確かに酷い様相を示しているが、日本共産党の≪本質≫が、安倍政権よりさらに醜いことは確かだ。どっちもどっちということかもしれないが、それでも日本は形の上ではまぎれもなく民主主義社会であり、社会主義・共産主義国のような≪独裁国家≫ではない。有権者が反自民の受け皿として、便宜的に共産党を支持する立場を理解はするが、この党を心の底から信じている人たちを見ると、私はやはり「危険思想」の持ち主としかみなせなくなる。

ある意味で、20世紀は共産主義の実験の世紀だったといえよう。もはやその実験が終わった現代にあって、その実験結果を無視するのは、まるで道理に合わないことに思える。

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