共産ゲリラに破壊されたカンボジア

本日付の朝日新聞1面に、93年のカンボジアPKOにおける自衛隊の「駆けつけ警護」の源流となる事態についての記事が掲載されているのを読んだ。当時、日本から選挙監視員41人がカンボジアのタケオ州に展開しており、カンボジア総選挙を成功させるために活動していた。実はそのうちの一人は小生だった。

記事では法律の枠内では「駆けつけ警護」はできないとの認識から、陸上自衛隊は「情報収集」と称して、事実上の「駆けつけ警護」態勢をとったことを明らかにしている。当時、共産ゲリラが選挙を妨害するという見方が一部に根強くあったからだ。

私も銃弾が頭を貫通する夢を何度か見た。当初50人程度選抜された監視員は、治安悪化に伴う辞退者により、最終的に41人となっていた。残った多くは県庁勤務の地方公務員だったが、なかには民間人が一定数含まれていた。

私の担当した投票所にも、自衛隊員らが「情報収集」と称して、偵察に来たことを覚えている。日本国内でこうした行動が憲法上の問題となっていたことを短波ラジオを聞いていてわかっていたので、複雑な思いがした。

話は変わるが、創価学会の2代会長が「東洋広布は九州男児の手で」との言葉を残していて、その言葉にふれていなければ、私はあのとき危険を冒してまでカンボジアに行く(=選挙監視員に志願する)ことはなかったと思う。いまとなっては懐かしい思い出である。

 

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