坂本龍馬も呆れる高知県人

坂本龍馬といえば、藩というものが中心であった時代に、藩の枠組みにとらわれずに行動した人物として認知されている。その図式を現代にあてはめれば、国家という枠組みにとらわれず、グローバルな視点で、世界市民として物事を考えるということになるだろう。現在コロナ騒動で揺れる地球だが、感染源である地名を冠して、「武漢ウイルス」などと悪意をこめて使う風潮を煽る人物もいる。それは「スペインかぜ」の使い方とは趣きを異にし、中国バッシングの心情と結びついたものに見える。もし逆の立場だったらどうだろうか。東京のだれかが発症源となり、「東京ウイルス」などと世界の国々から攻撃されたらどう思うだろうか。上記の輩はおそらく、「ウイルスに悪意はない。同じ人類として共同で立ち向かうべきではないか」などと反論するに違いない。このコロナ騒動は現在の人類であるホモサピエンスが目下受けている挑戦であり、人種・国籍などは排して人類共同で抑え込むべき性質の事柄である。どこで発生した、だれが悪い、志村けんを殺したのは中国だなどと感情的に主張したところで、問題解決には1ミリたりとも結びつかない。日本という国家の枠組みに縛られ、中国攻撃をしている輩を見ると、人間というものが200年近い前と本質的に変化していないことを実感せざるをえない。 坂本龍馬が聞けば、呆れて嘆くことは間違いない。

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