社会党員の家に生まれて

父親が労働組合の専従の仕事をしていた関係で、私は子どものころから100円か200円くらいの駄賃をもらって、近所の党員宅数軒に政党機関紙『社会新報』を配達する少年時代を送った。週に1回くらいのことだったので、いいこずかい稼ぎでもあった。政治の深いことは興味もなく、わからなかったが、母親からは「社会党は労働者の味方である」と教え込まれて育った。いつの時期かはっきりとは覚えていないが、父親が「共産党はおそろしい」と語ったことを鮮明に覚えている。日本社会党と日本共産党は同じ社会主義の理想像をもちながら、両者の関係は悪かった。私はそんな父親の背中を見て育ったので、なぜ私が社会党員の家に生まれなければならなかったのか、今では非常によく理解できる。そんな家に育ったせいか、小学校の卒業文集か何かで自分の将来の夢を書かされたとき、私は「総理大臣になって日本を社会主義の国に変える」と書いて大人たちの度肝を抜いた記憶がある。 そうした立ち位置は後年、日本共産党批判の仕事をする際に、おおいに役立つことになった。

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