色褪せる思想と色褪せない宗教

本日付の「しんぶん赤旗」は志位委員長の党内向け指導を1ページにわたり掲載している。2年後の創立100周年に向け、党員と赤旗購読者を3割増やそうとハッパをかけているが、旧態依然とした号令だけの指導であり、根本的に何が問題であるのかわかっていないようだ。わかりやすく例えれば、たいしておいしくもない野菜を売るのに八百屋のおやじが懸命に叫んでいるものの商品そのものに魅力がないのでやはり売れない構図にしか映らない。この1世紀、当初は正しい思想と信じられた社会主義思想だが、それを政治の中心にすえた実験は各国でことごとく失敗に終わった。成功した事例は一つもないといってよい。それでいて日本共産党はその思想にいまだにしがみついている化石のような集団だ。そうでないと数千人の党職員、議員を食わせていくことができないからだ。一方で戦後の一時期、同じ庶民層への拡大でぶつかり合った公明党はどうか。その母胎である宗教団体としての創価学会は、仏教の本流である法華経を基盤としている。この宗教はいまも色あせることなく、世界に広がっている。政治と宗教という分野の違いはあれ、その明暗を分けている根本は、魅力ある思想であるかどうかという一点につきる。共産主義思想は人間という一点に焦点を合てることなく、社会制度の変革に目を奪われ、実際は理想どおりには機能しないシステムだった。一方法華経は、人間の内面そのものにメスを入れる本質的な宗教だ。思想の優劣は明らかであり、逆に言えば、法華経を基盤とした社会が現出するとき、社会主義の理念はうまく作用する可能性があるかもしれない。

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