卑怯な政治の教育効果

本日付各紙は、菅官房長官が「桜を見る会」の招待者名簿の取り扱いで法令違反があったことを認めた旨を記事にしている。自分たちの政権にとって都合の悪い公文書は隠すという姿勢が安倍政権についてはこれまでたびたび指摘されてきた。当事者らは本音としては「正直にやっていたら政権は幾つあっても足りない」などと釈明するかもしれないが、国民に対して不誠実な政治が、本質的な支持を集めるはずもない。さらにより深刻なのは、教育的な効果のほうだろう。子どもは大人の背中を見て育つとはよくいわれる言葉だが、現在の政権が示している姿は、「自分に都合の悪いことは隠せばいい」「うまく誤魔化して生き延びることが大事」「人間は正直でなくても大丈夫」と教えているようにしか思えない。要するに、人間としての『卑怯者』の姿なのだが、「日本人の誇り」などと日頃声高に叫ぶ右派文化人などが、この点を正しく批判しないのは、むしろバランスを欠いているようにしか見えない。

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