名誉会長の2度の大難

1月2日は池田名誉会長の誕生日である。本日で92歳。創価大学の駅伝部もその慶事を祝おうとの思いで走った選手もいたに違いない。

名誉会長の人生を振り返るとき、法華経を実践する立場として、経文どおりの多くの難を受けたことは後世に明確に記録されるはずだ。小さな難はいざ知らず、大きくは2つの難が明らかである。

一つは無実の選挙違反事件で逮捕・起訴された「大阪事件」だ。若き日の名誉会長が1957年の参院大阪補選の指揮をとった際、公職選挙法違反(戸別訪問)と買収の容疑で逮捕され、起訴される際は買収罪はなくなった。この事件の刑事裁判が続いたため、1960年に教団の会長就任の要請を再三受けながらもすぐに引き受けることができなかった経緯がある。裁判は62年1月に一審で無罪判決が出て、検察は控訴を断念している。

二つ目の難は、1979年の会長職勇退だ。勇退といえば聞こえはよいが、事実上の辞任を迫られ、自ら身を引いたというのが実情に近い。当時、元弁護士・山崎正友らが宗門(=日蓮正宗)を巻き込み、教団乗っ取りの野望を展開していた。山崎らはマスコミ工作も手がけ、池田会長がまるで悪人であるかのような社会的風潮が内外で形成された。その結果、池田会長を守るべき側近幹部ですら、同会長を守ることができなかった。中には「時の流れに逆らうことはできません」と公然と言い放った最高幹部さえいた。

何が善で何が悪かよくわからない。そのような状況のもとで、法華経の行者は迫害を受ける。

ほかに96年に始まった信平狂言事件というものもあった。「虚言」に乗せられた門脇という名の新潮記者が中心になって展開した虚偽キャンペーンである。「虚言」で迫害を受けるのも、法華経の経文通りの姿だ。

こうした迫害を一身に受けた池田名誉会長の行動のもとに、いまの創価学会およびSGI(創価学会インタナショナル)は現存する。感謝尽きない一日――。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。