日本がこれほど右傾化した理由

1990年代はリベラル色の強い政権が続いた時代とされる。その社会状況が変化するのは90年代後半からであったと見ることができる。新しい歴史教科書をつくる会(通称・つくる会)が発足し、日本会議もそのころに結成された。さらに99年には中道勢力である公明党が与党入りすることで、左右のバランスが微妙に崩れる結果につながった。さらに2000年代半ばになると、極端な右派論壇誌が登場し、毎月のように大手新聞で広告を出すようになり、右派側の主張がまるで市民権を得たかのような社会的気分が醸成されていった。現在はその延長線上にある。中でも私個人が重視しているのは、右派論壇誌(WiLL、Hanada、正論)の役割と、公明党の与党入りに伴う左右バランスの変化だ。同党が与党入りしたことで、それまでの野党のような主張は鳴りを潜め、結果的に右派側の主張を増長させる効力を生んだ。例えば本来なら韓国や中国との協調路線を強く説くべき立場にある公明党が、自民党と組むことで自民党に遠慮し、中道的立ち位置からの主張が抑制された面がある。

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