極右と極左の共通性

自分の間違いを認めようとしないという意味で、極右と極左はウリ二つだ。一般には「無謬性」ともいわれる。国内の極左代表である日本共産党は、ヨレヨレになった共産主義思想を後生大事に抱え込み、組織の延命だけを考えている。前議長の不破哲三が生きているうちは、この状況は変わらないだろう。同党の自分たちは間違いを犯さないという思い込みは、客観的には破綻している。同じ体質が、例えば旧日本軍についてもいえる。実際には多くの過ちを犯したが、過ちを犯さないものと信じたい一群の人々によって、その罪責は過小評価されてきた。南京大虐殺はなかった、慰安婦は強制連行ではないといった言説は、その典型例だ。極右と極左が紙一重と主張する論者は特に珍しいわけではない。憲政の神様といわれた犬養木堂もその一人だった。現状に当てはめて平たくいえば、極右のシンボルとしての櫻井よしこ、および極左代表としての日本共産党の特質は、「無謬性」という一点において同一である。

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