希望なき日本共産党の「生き残り」という名の希望

昨日、日本共産党が東京・中野区で創立97周年の記念講演会を開催した。記念講演を行ったのは志位和夫委員長だが、タイトルは「希望を語る」――。共産主義思想が現実には機能しないことが多くの実験で証明された現代世界にあって、共産主義政党としての同党には本来何らの「希望」もないはずだが、わざわざ講演会のタイトルに「希望」を冠する行為は、自分たちの党勢拡大が第一であるのに、わざわざ「国民が主人公」などと本質と違うことを掲げる行動とよく似ている。話の内容は野党共闘の4年間の実績を振り返るもので、同党の綱領に則して、野党連合政権が近づいていると党員に「希望」を持たせる趣旨のようだ。同党の「生き残り」のためには、そのような方向しか道が残されていないということでもあろう。 日本共産党は100年近い歴史を持ちながら、日本で共産革命を起こすことがついにできなかった。それは日本国として考えた場合、極めて幸運なことだった。だが同党には食わせなければならない党職員がいまも多数存在する。その結果、時代錯誤の共産主義の「旗」を振りつづけながら、何らかの希望を創出するしか現状では方法がない。その意味では、安倍政権の出現は同党にとってまたとない幸運な機会だった。2015年の安倍政権による安保法制の強行がなければ、野党連合は成立しなかったであろうし、共産党の手でもぜひ借りたいという政治の流れにならなかったと思われる。その意味で、共産入り野党連合政府の可能性をつくったのは安倍政治そのものである。また一方で、いまだに共産主義の旗と党名を掲げたまま、時代錯誤に現存するのは、日本共産党の現指導部の責任にほかならない。 私自身の立場をこの際ハッキリさせておくが、これまでの歴史から考える限り、共産主義政党が与党に位置することは日本国民にとってはなはだ危険なこととしか思えない。同党が党名を変更し、共産主義をめざす綱領を変えない限り、生涯かけて、同党の危険性を訴えていく責務が私にはある。逆にいえば、同党が体質改善し、その危険性が除去されれば、私の役割は終了する。要するに、同党が「共産党」という党名に固執する限り、この事態は変わらない。彼らが「共産党」という党名と綱領にこだわる原因は、不破哲三、志位和夫ら最高指導部の「保身」にほかならないと思われる。

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