暴力を爪の下に隠す政党

日本共産党が先の大戦時を振り返り、「唯一、戦争に反対し続けた政党」というキャッチフレーズを使うのは、同党のイメージ戦略においては重要な位置を占めている。確かに断面的な事実としてはそうかもしれないが、それにより同党が「平和の党」であるかのようなイメージを持たれるとすれば、それはフレームアップの手口そのものだ。実際の同党は暴力革命を否定しない「革命の政党」であり、穏健な日本においてはそのような体質は邪魔になるので、隠しているにすぎない。事実、戦後まもない朝鮮戦争の時代には、日本国内で多くの暴力事件を起こし、当時の日本人に「暴力政党」のイメージを色濃く残した。それでも日本人というものは「忘却的民族」の典型で、先の大戦の悲惨さを知る体験者がいなくなり、戦争への歯止めがきかなくなっている風潮と同様に、日本共産党が過去に起こした暴力行動についても、まるで忘れ去られたかのようだ。同党の暴力体質は当時の朝日新聞から「集団テロ」と書かれるほど事実に裏打ちされたものだった。仮に産経新聞がそう書くならマユツバ物との見方も出てくるが、当時のリベラルの柱・朝日自身がそう書いていたのだ。1957年には日本共産党は東京・大阪・名古屋で組織的な暴力活動を活発化させた。党本部の指令のもと、警察官2人を組織的に暗殺し、北海道の白鳥事件においては全党あげて隠蔽工作に取り組んだ。この隠蔽工作は宮本顕治元議長が実権を得た後の時代のことだったので、道義的にはそれに連なる不破哲三、志位和夫ら最高幹部とも責任なしとはいえない。

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