交番襲撃の「元祖」は日本共産党

大阪・吹田市の交番で巡査がめった刺しにされ拳銃を奪われる事件が大きなニュースになった。すでに容疑者は確保されたそうだが、この事件を耳にして類似事件のことを思い起こした。1951(昭和26)年12月。練馬区の印藤巡査は、にせの通報によっておびき出された。今回、虚偽の通報で他の警察官が外出したのとよく似ている。さらに印藤巡査も拳銃を盗まれた。今回もその点は同一である。異なっている点は、印藤巡査は鉄パイプなどでめった打ちにされ、死亡したことだろう。さらに今回のような単独犯行ではなく、練馬区の事件は日本共産党による組織的な事件であったことが異なっている。当時、朝鮮戦争が行われており、ソ連・中国・北朝鮮の共産党と協同歩調を取ることを要請された日本共産党は、日本国内において多くの交番襲撃を実行した。練馬事件はその先駆けにすぎなかったが、翌月には札幌で、こんどは鉄パイプから違法に入手したブローニング銃に武器を変えて、警察幹部を背後から射殺する事件を引き起こした。しかもこの事件では日本共産党は全党あげての「隠蔽工作」を敢行し、虚偽のプロパガンダを延々と組織的につづけた経緯がある。 このような重大犯罪を起こした政党が、本格的な総括すら行わないまま、いまも日本の政治の一角を占め続けることは驚きに値する。

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