白鳥事件の下手人が死亡して7年

いまから67年前の1月。札幌の警察幹部を日本共産党が暗殺した「白鳥事件」の下手人の一人、鶴田倫也が死亡してちょうど7年となる。当時、北海道大学を卒業していた鶴田は日本共産党の武装闘争の活動に参加し、白鳥警部を暗殺するために重要な働きをした。しかし警察に追われる身となり、日本共産党の配慮で海外に逃亡。生涯日本に戻らないまま、故郷を思いつつ、人生を終えた。日本共産党の誤った行動により、被害を受けた第三者だけでなく、当時党員であった多くの若者が自分の人生を狂わされた。これに対し、現在の日本共産党は「あれは徳田一派などの分派が行ったことで関係ない」という態度だ。ちなみに徳田とは、日本共産党の1922年の創設にもかかわった戦後最初の党首・徳田球一であり、党の出発点をつくった人物である。にもかかわらず、宮本顕治と対立する派閥であったためか、今では党の歴史から抹消されている感がある。日本共産党は罪のない多くの功労者を切り捨て、多くの犠牲者のもとにかろうじて成り立つ、不幸な政党である。

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