「暴力左翼」の根源は日本共産党

日本共産党を「平和の党」と勘違いしている人がいたら大きな間違いだ。本質的に共産主義政党は暴力革命の政党なのである。日本共産党もその例にもれず、公然と殺人や放火に突き進んだ時代があった。特定すると1951年から52年にかけての時期だが、日本共産党が開いたこの「パンドラの箱」によって、暴力左翼が日本にも多く生まれた。戦後の高度経済成長期頃に起きた左翼の事件、連合赤軍にせよ、日本赤軍にせよ、多くは元日本共産党関係者である。要するに、同党の暴力主義を生ぬるいと考えた人たちが分派したグループにすぎない。その根源をたどればもとは同党に行き着くのである。

その意味で、日本共産党は「暴力左翼」の根源といえる存在だ。

ただそれでは国内で勢力拡大ができないので、元赤旗記者の柿田睦夫の用語を借りれば、「カメレオン」のように自在に自身の色を変えて、周囲を惑わしてる(騙している)状態といえよう。有権者はこのカメレオンの仮の色に騙され、同党がまるで「ふつうの政党」であるかのように勘違いしている人が多いようだ。有識者を含め、そうした面々のなんと多いことか。その勘違いぶりの実態は、無残というばかりだ。

 

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