志位和夫が語った「夢想主義」

いつものことだが1週間も出張に出ていると、自宅で取っている新聞が30センチくらいの高さでたまっている。これを数日かけて読み込むのが日課だが、10月29日付の「しんぶん赤旗」に「初のJCPサポーターまつり開く」という記事が掲載されていた。同党委員長の志位和夫とのやりとりが3面において大きく取り上げられ、共産党が他の野党と一緒に政権に入った場合を想定して、「ぶれない共産党が政権に参加すれば、その政権は強いものになる」などと述べている。共産党がブレない政党というのは歴史的にみれば完全な虚偽だが、それはひとまず置いておく。この紙面で目を引くのは、共産主義社会になった場合の状況を、日本共産党のトップが珍しく言葉にしていることだ。共産主義を名乗りながら、その理想を一般有権者に語ることはほとんどない政党だけに熟読してみた。

「共産主義社会では、労働時間が抜本的に短くなる。搾取がなくなり、社会の構成員がすべて働くようになる。浪費がなくなる。生産力が発展する。そうして労働時間が抜本的に短くなり、自由に使える時間が長くなります。人間の持っている潜在的な能力――例えば学者、アスリート、芸術家などの素質をもっていても資本主義のもとでは埋もれてしまう人が多い。すべての人間の自由な全面的な発展をめざすのが、私たちがめざす社会です」

一言で感想を述べれば、古色蒼然。戦後間もないころに共産主義がバラ色のように描かれた時代の理想像とほとんど変わっていないようにも思える。では聞きたいが、世界の3分の1を社会主義が占めた国の中で実際に「浪費がなくなり、搾取がなくなった」社会が一つでもあったのだろうか。

結局、志位が唱えているのは、過去にも実現できなかった自分たちの『夢想』そのものであり、すでに破たんしてしまった『夢想』をいまだ70年すぎても引きずっているところに、この党の本質的課題が横たわっているように思える。

この党のこういう姿を見るにつけ、この国の他の野党には本当にしっかりしてもらいたいと念願する。こんな(共産主義)政党が先進国で大手を振って歩いている社会はもはや日本だけであり、世界的に見れば「化石」に等しい存在だからだ。

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