新潮ジャーナリズムの終わりの始まり

今日付の各紙には「新潮45」の休刊のニュースが大きく掲載されている。朝日新聞が掲載した新潮社広報担当役員の話によると、「8月号だけでは休刊の決定はしていない。10月号に問題があると考えている」ということで、杉田水脈代議士の寄稿を掲載した8月号だけでなく、それを自己正当化する特集が掲載された号にむしろ問題があったとの認識を示している。毎日新聞が「保守系の雑誌だけで経営している出版社と異なり文芸が中軸の新潮社が、マイノリティーを蔑視しているととれる特集を組んだことの波紋は大きかった」と記しているとおり、作家などから批判の声があがった影響が大きかったと思われる。文芸出版社にとって、作家は最大の顧客でありお得意様だからだ。

同じ毎日記事では、「記事の内容についての批判を受け、雑誌が廃刊に至った例は1995年、ホロコーストを否認する特集を組み国内外の批判を受けた月刊誌『マルコポーロ』(文芸春秋)がある」と紹介している。共通するのは、売らんかなの路線 ⇒ 無理な企画内容 ⇒ 墓穴を掘り廃刊――という流れであろう。売れ行きが落ちた結果とはいえ、現在、最後の号となった「新潮45」に、アマゾンで1冊7000円台の高額価格がついているのは皮肉な話だ。

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