職人集団としての公明党

個人的なことで申し訳ないが、私は「職人」という言葉が好きだ。長年の苦労と経験に基づく自分ならではの技量。そこに誇りを持ち、責任をもち、生きる。私はそうした気概をもつ「職人」に、職業人としての気高さを感じる。実は物書きも、私にいわせれば「職人」の一員だ。

きょう述べたいのは公明党が「職人集団」になりえているのかという問題である。

公明党は創価学会という日本最大の宗教団体を母体としている。多くの人材に恵まれ、おのおのが宗教者としての基盤をもつ。教育のプロ、金融のプロ、行政のプロ、人権のプロ、さまざまな人材群を母体としながら、公明党はその力を十二分に発揮できている存在といえるのだろうか。

このコラムで過去に何度か書いたことがあるが、公明党には「教育のプロ」といえる存在が見当たらない。教職員出身者がいるかどうかといった単純な問題ではない。また情報公開の専門家も見当たらない。外国人問題の専門家もいない。人権問題の専門家も見当たらない。

思いつく範囲で述べれば、ヘイトスピーチ集団が日本社会に出現したとき、公明党の対応は非常に遅いものだった。そうした人権的分野に目利きの利く人材がいなかった、あるいは少なかったからだろうと感じる。

教育の分野では、母体の創価学会は国家主義に反対する思想的基盤をもつにもかかわらず、安倍政治の言動を止めることができていない。その証拠に、国家主義的な色彩を視野に入れた「道徳教育」が公教育に導入され、現場の教職員は困っているのが実態だ。

安倍政権は経済的な理由からなし崩し的に外国人労働者の拡大にカジを切ったが、外国人問題は非常に底が深く、広がりの大きな問題だ。行政機構として統一した外国人庁のような組織をつくることは不可欠ながら、そのような言動もない。もし専門家がいれば、与党のうまみを利用し、早くから政府に働きかけ、行動に移すことは可能なはずだ。

公明党は日本国家の将来をみすえ、国民の利益にかなう方針を打ち出せる立場にいるのに、それが十分にできていないように感じるのは、私だけだろうか。

「一人一芸」主義をより徹底すれば、公明党は力強い「職人集団」として、自民党を揺り動かし、この国を正しい方向に進めるエンジン役になれるはずだ。

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