信用を失った青年たち

 青年は信用が大事である、とは戸田城聖第2代会長の言葉である。どういう意図があったかは小生にはよくわからない。戸田会長の深い人生観から出てきた言葉だと思う。青年時代は経験が豊かとはいえず、能力よりも、人から信用されることが大事という意味があったはずである。その意味で、元職員3人は、職場で信用を完全に失った存在だった。
 彼らのもともとの問題の出発点である「暗黒時代は終わった」とする後輩の発言に対する≪紛争≫に対し、彼らは歩み寄る姿勢はまったくなかった。結局は決裂で終わる。自分たちには一切の非を認めず、責任を相手にだけかぶせる。そんな姿勢が青年の純粋さというだけでは、職場において通用するわけはなく、問題職員とみなされていった。徐々に処分を重ねられていった。彼らの主張でいうところの、仲間の聖教減部問題はそうした矢先に起きた。日頃、彼らは職場でまったく信頼されていない存在である。そんな輩が何を訴えようと、相手にすらしてもらえない。おそらくそういう状況であったとも推察する。
 彼らの生きる姿勢はいまもまったく変わっていない。自分たちの非を一切認めず、好き勝手なプロパガンダのみを続ける。一方でそれに乗せられるお馬鹿な出版社も出てくる。創価学会という教団がこれだけ大きな教団になると、いろいろな人間が出てくるのはむしろ当然の話に思える。一部がカルト集団化するとこうなるという、彼らはよい見本ともいえる。問題の根底であり本質は、経文からいえば、「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)ということになる。
 戸田会長が言われた「信用」をもつ生き方、その「信用」を彼らはまったく失ってきた。すがる先は、似たような境遇にある除名者、不平不満の愚痴分子たちが多いようで、類は友を呼ぶの典型だ。青年部はああいう情けない姿になっては絶対にいけない。先輩たちの善意の指導を無視し、協調性を失った、≪自己満足≫な生き方など、ご法度だ。

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