元職員3人の本質は「すべて自分たちが善、周りが悪」との独善思考

創価学会を解雇された元職員3人になにかしらの注目が集まっているようだ。もともとこの3人は、教団という団体の職員でありながら、その教団の方針に従わず、自分たちの正当性ばかりを主張する行動にへきえきした人びとが多数存在し、解雇となった単純な事案である。まして日蓮仏法の本質は、一切の原因を自分の中に見るため、彼らのようにそれらの原因の一切を環境(執行部などを含む)のせいにして自己正当化を図るような行動は、仏法では「外道」の発想として戒めている。彼らが一部で「カルト」と呼ばれるのはそのためだろう。

彼らのブログを一瞥しても、そうしたトーンで終始している。自分たちには一点の非もないような主張だが、世の中の真実を知る常識人が目にすれば、なにやらおかしいとすぐに見抜かれるだろう。こうした手合いに紛動されるのは、事情をわかっていない人たち、あるいは特定の政治活動に利用されているような人たちであろう。

現在、3人が訴えた裁判が東京地裁で係争中だが、過去の譴責処分や配転命令が不当な動機でなされたなどと主張している。さらに懲戒事由となった19の場面ごとに役者を立てて一コマごと写真撮影し、証拠提出するなどしている。あるいはそのビデオを法廷内で上映しようとさえした。私が驚いたのはその再現映像において、彼らの弁護士も「役者」の一人として演じていることである。

いずれにせよ、この裁判はもともとはいったん結審し、判決が予定されていたものの昨年10月、弁論が再開された。だからといって、3人にとって裁判が有利に運ぶという単純なものではないとも推察される。

私自身は批判を行うことそれ自体は自由の範疇にあると考えるが、自らにまったく非がないかのように振る舞う彼らの顕著な行動は、信仰的態度としては「全く誤っている」と考える。

 

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