当コラムが「波田地」「田口」の2人を取り上げた理由

 妙観講の大草一男から名誉棄損で民事提訴されていた裁判(当方からすると“狂言訴訟”の一種にほかならなかったが‥)の控訴審判決が出たのが8月4日。結果として、当方の実力不足により真実性を立証することはできなかった(一審の東京地裁は判決文で真実性を否定したものの、当方が真実性を立証するために求めた女性3人の証人調べの申請をいずれも却下した)。また妙観講幹部が行った過去の一連の盗聴事件についても、大草関与の真実性を立証するには至らなかった。ただ、きょうの本題はそこではない。
 その間、個人的に「宿坊」掲示板における常軌を逸した状態には危ういものを感じていた。ただし上記裁判を抱えていた以上、波田地訴訟(上記裁判の先行訴訟)の張本人である波田地克利の現状を取り上げるには若干の躊躇があった。そのため、上記高裁判決が出た後に、同人が創価学会に対して訴えている裁判についてなどを初めて取り上げた。その経緯もすでに過去のコラムに記したとおりである。この間の2カ月余りのやりとりは、すでに過去の当コラムなどから明らかであろう。
 教団としては、池田名誉会長の最晩年の時期に当たることは客観的にも明らかであり、≪次の時代≫に向けての足場を固めるための重要な時期に当たることは間違いない。そうした大事な時期にこそ、我尊しとばかりに、自身の個人的事情から問題を起こし、好き勝手に飛び跳ねる連中が出てくるのも方程式としては明らかだった。
 当サイトが「波田地」と「田口」という、過去の脱会者や除名者から見ればかなりの“小物”に見られる人物であっても敢えて取り上げたのは、そうした時期的な背景もある。彼らは「城者として城を破る者」あるいは「獅子身中の虫」(ここでは慣用句として敢えて「虫」を使用する)の典型であり、そうした姿を目にしておきながら、それらを見過ごすことはできなかったということだ。
 一言でいえば、“破和合の先導者”(扇動者)にほかならない2人について、必要に応じて今後とも取り上げる必要が出てくるだろう。

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