「隠居」の周辺

 裁判記録などによると、波田地一味が最初にメーリングリストを開始したのは2001年のこと。「oni-oni-club」という名称で(その後、名称は何度か変更されたようだ)、多いときには400人くらいが参加していたという。さらにより少人数の「裏-oni-倶楽部」というものがつくられたのが2008年。35人程度のコアメンバーが参加するこの裏メーリングリストで、波田地は「本物の弟子たちによって、Yら(=執行部)を倒さないといけない」、またあるときは「絶対にこの悪党どもをやっつけましょう」などと呼びかけていた。明確な扇動行為である。問題は自身の私的感情をまじえてメンバーを煽っていた点だろう。組織内組織の構築と指摘されるゆえんである。
 さらに専用ツイッターなるものが2010年に開始され、こちらも150人ほどが参加していたようだ。加えて、田口伸明が職場を解雇された2012年には、同人を支援するための専用ツイッターを新たに併設。こちらは10人程度の極めて限られた空間だった。
 さらにそれ以降も、2014年には青鬼SNS、赤鬼SNSなるものが開始され、青鬼ではこれまでどおり「隠居」のネームを使う一方、さらに赤鬼のほうでは、身を特定されないように「照美」という名前を使用したという。ここで浮き彫りになることは、自分の名前が出ないようにすれば平気だからとの理由から、それまで使っていた「隠居」の名称をカモフラージュする「照美」なる別名を使った“前歴”だろう。目的のためには手段を厭わない体質が垣間見られる。
 振り返れば、最初の段階でつくられたメーリングリストは、純粋に活動目的(=日蓮正宗対策)のための情報共有を意図したものだったと思われる。だが、それらはいつしか、中心者の内的変化を反映し、教団の執行部を批判するための情報共有の場へと刷り替わっていった。その間、波田地が2度にわたり職場を追われた経緯はすでに報じたとおりだ。  
 同人のアカウント名である「隠居」という名称を考案したのは別人物だという言い訳めいた話も残されているが、そうした名称を使うことを唯々諾々と認めてきたのが当人自身であったという事実は、揺らぐことはないだろう。

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