システムとしての共産主義

共産主義が世界で1億人以上の人間を殺してきたことは知っている人は知っている。その被害者数はナチスドイツが殺したユダヤ人犠牲者の総数を優に上回る。そうした「実績」が多くの国で実証されてきたにもかかわらず、この国の能天気な文化人は、日本の共産主義政党の機関紙に堂々と登場する。この矛盾を感じないのが、日本の政治風土の特殊さと思えてならない。

本日付の「しんぶん赤旗」日曜版にも、著名な若手学者が1面に登場するなどしているが、仮に日本共産党が結果的殺人主義の政党として日本国内で広く認知されていれば、そうした文化人も紙面に登場することを躊躇するにちがいない。日本の共産主義政党がいまも大手を振るって歩ける理由は、日本においてマスコミへの浸透、アカデミズムへの浸透に成功してきたからである。またその名残が強く残っているからにほかならない。

共産主義の真実の姿が、殺害主義であることは、もはやいくらでも実証が可能な歴史的事実だ。日本の共産主義政党はそうした≪不都合な真実≫を隠し、あるいは見えにくくカモフラージュして、時の政権を批判し、大衆の支持を集めながら、あわよくば政権奪取しようと密かに目論んでいる存在にほかならない。そのような政党に対し支持を表明したり、その機関紙上に登場する行為は、そうした結果的殺人主義を「肯定」しているに等しいと思えてならない。

 

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