「魂の独立」から25年

戦前・戦中、国策におもねり、多くの宗教教団が国家神道を受け入れた。日蓮正宗も例外ではなかった。田舎寺にすぎなかった静岡県の貧乏寺が戦後、目覚しい発展を遂げることができたのは、ひとえに1951(昭和26)年に第2代会長を擁立して再建された創価学会の出現による。
いまでは実質上の「世界宗教」となっている創価学会の折伏活動が活発化し、会員の急増とともに、日蓮正宗の収益も飛躍的に伸びた。要するに信者数の増大とともに、お布施の規模が拡大したのである。必然的に田舎の貧乏寺から金満寺に変わっていった日蓮正宗宗門では、信者の供養を使っての芸者遊びが流行し、海外に出れば「買春」にいそしむ坊主まで出てきた。元トップの阿部日顕がその最たる例である。
いまから25年前の1991年(平成3)年、自らの出自を忘れ、思い上がった法主を筆頭とする宗門執行部が、財産を貯めるだけ貯め込んで、創価学会を切り捨てる暴挙に出た。以来四半世紀――。今年の11月28日は、その歴史的な出来事から、25年の節目となる。
阿部の心中にあったのが、池田名誉会長の世界的活躍への「嫉妬心」であったことは多くの人が指摘する事実だ。創価学会では、この悪しき宗教権力のくびきから離れることができたとの意味合いから、91年11月の出来事を「魂の独立」と称している。

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