創価学会の平和運動の原点

一日ずれてしまって恐縮だが、昨日は60年前、創価学会の戸田城聖第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表した日だった。現在、全国の会館で放送されている中継では、戸田会長のそのときの肉声の多くが紹介されていて、切々たる呼びかけに、文字で目にするのとは別の意味でより深い心理的影響を受ける。

1957年9月8日、横浜の三ツ沢競技場で開催された青年体育大会の席上、その宣言は発表されている。原爆を使用する者の心性は魔物であることを宣言し、その解決手段はあくまで人間の内面を変革する運動にしかないことを訴えている。またすべての核実験の停止を呼びかけている。この宣言は、創価学会さらにSGI(創価学会インタナショナル)の平和運動の原点となっているものだ。

それから4年後、ソ連が核実験を再開する。日本共産党はこのとき、ソ連の核実験を容認する立場を鮮明にした。この際の問題点は、大きく2つあったと思われる。①被爆国において平和政党を自称する政党が、広島・長崎の被爆者らの無念の思いを踏みにじり、核実験に賛成したという客観的事実、さらにその容認を②国によって使い分けたという、およそ理解できない理念からである。

社会主義国の核実験はよいが、資本主義国の核実験は認められない。当時、共産党機関紙の「アカハタ」には、アメリカを指して「戦争屋ども」といった、口汚い言葉が随所に踊っている。まるでいま、北朝鮮という国家の指導者が、アメリカを罵倒するときに使っている言葉とそっくりだ。

その意味でも、日本共産党と現在の北朝鮮は、不思議な親和性で結ばれているというしかない。

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