共産主義という「熱病」

戦後、共産主義の≪熱病≫に侵されて、多くの若者が人生の一時期を狂わせた。現在、社会で活躍する有識者の中にもそうした体験者は数多い。読売新聞グループを率いる渡邉恒雄氏などもその一人だ。本日付の公明新聞には、劇作家の山崎正和氏の大型インタビューが掲載されているが、同氏もやはりそうした体験者の一人だった。

インタビューによると、山崎氏は15歳で共産党員になったという。だが共産主義がおかしいことは、最初の段階で「すでに分かっていた」ともいう。なぜなら、共産党によると、共産主義社会への移行は「歴史の必然」ということであり、必然である限り、党員になろうとなるまいと革命は自然に起こるはずと考えたとき、「これは明らかにおかしい」と思ったと語っている。

その後、同党を離れるきっかけとなったのは、「共産党が想像を絶する暴力集団になったこと」「共産党が武装闘争路線を放棄して山村工作隊の友人が帰ってきたので、私はさっさと辞めた」と語っている。

「山村工作隊」とは、「日本共産党が1950年代、中国共産党にならい全国各地の農村部に学生や労働者を派遣して行った武装闘争活動」の注も記事に付されている。

日本共産党の事実上の指導者である不破哲三氏は、いまになって、こうした路線を、中国共産党毛沢東主義派にかく乱された結果などと総括している。要するに「人のせい」にしているわけだが、過ちを犯したのが「自分たちの同志」であった事実にはけっして向き合おうとしない。私は、過去の過ちをすべて人のせいにして自己正当化を図る同党のこうした体質に、この団体・組織の根本的矛盾を感じている。

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