日本共産党は核兵器反対の立場だったといえるか 6

核実験禁止決議に唯一反対した政党

共産党といえば「わが党こそ〇〇した唯一の政党」というフレーズが大好きだ。政党助成金を受け取っていない唯一の政党、ソ連・中国共産党の横暴と戦ってきた唯一の政党、あるいは最近では豊洲市場移転に反対してきた唯一の政党などだ。ところで、平和分野においては、次の「唯一」もどうしても付け加えておかなければ不公平になる。過去に核実験禁止に関する決議案に唯一反対した政党であるという歴然たる事実だ。

1961(昭和36)年8月末、ソ連が一方的に核実験再開を表明し、断続的に実験を続けるなか、50メガトンという大規模実験を強行したのは10月23日、モスクワでソ連党大会を開催しているさなかのことだった。この党大会に日本共産党からは野坂議長、宮本書記長など同党トップ幹部が参列している。そんな渦中で行われたソ連の大規模核実験は、日本の一般紙でも大々的に報道され、社会的に大きな問題となった。一方で、さすがにバツが悪いと思ったのか、日本の「アカハタ」ではこの件はほとんど扱われていない。

ともかく、日本の一般国民は大騒ぎとなった。10月25日、まず衆院で「核実験禁止に関する決議案」が上程され、自民、社会、民社などが賛成するなか、共産党だけが反対し、可決された。さらに2日後の27日、参院でも同じ決議案が上程される。このときも反対したのは唯一、共産党だけであった。

アメリカの核実験はダメだが、ソ連の核実験はオーケーという態度はここでも一貫していた。これは日本の国政史上における歴然たる事実の一面だ。日本共産党は昭和36年、国会両院でなされた核実験禁止決議において、唯一、徹頭徹尾「反対」した政党にほかならなかった。

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