空手随想 3

極真福岡支部道場の思い出

私が最初に極真支部道場の門を叩いたのは1980年、中学3年生を終えた春だった。剛柔流の初段資格を持っていた父親が理解を示してくれ、高校受験が終わったご褒美に、同行して入門手続きをとってくれた。以来、高校に入って1年半くらい、週1~2回のペースで道場に通った。当時はまだ劇画や映画に感化されたケンカに強くなりたいという一心の10代の若者がほとんどで、20代はむしろ年配者に見えたほどだ。少年部など、当時はほとんど存在しなかった。私の通った支部道場は、当時は基本稽古を延々と数をこなし、移動稽古で終わるというパターンが多く、たまに指導者の気まぐれで基本を終えたあとに、「今日は組手をやる。白帯でやりたい者はいるか」と声をかけられ、色帯は全員強制的に組手を行うという具合だった。当時はまだサポーターといった気の利いたものは存在せず、いきなり素手素足でガチンコで打ち合うことになる。しかも、受け方の指導も何もないまま、白帯の希望者に組手を仕向けるという有り様で、白帯はボコボコにされるのが常だった。その後、大学受験のため、空手はお休みしたが、やはりそのときのトラウマが長引き、大学に入っても空手を再開する気持ちにはなかなかなれなかった。そんな私が45歳になって、もう一度空手をやってみようと思ったのは、ある同業ジャーナリストがフルコンタクト空手をやっていたのがきっかけとなった。同好会のようなものに所属し、再び空手着に袖を通して合同稽古に参加してみると、意外と基本動作を覚えていたりして懐かしく感じた。以来、8年近くが過ぎる。45歳で始めたときは仕事上の「護身」が目的だったが、いまでは健康のために続けている側面が大きい。

 

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