妙観講化する波田地グループ

 分派活動のやりすぎで教団を除名になった波田地克利が、第二次宗門問題において教団側で活躍した人物であったことは事実である。本人もその功績によって、「当時副会長ですらあまりもらっていなかった金褒賞をもらった」と法廷内で自慢したくらいだ。要するに、日蓮正宗対策で功績をあげてきたと思っている人がいるかもしれないが、真実はそうとも言い切れない。まず、自ら日蓮正宗妙観講に盗聴された被害者であるとして民事訴訟を提起しながら、妙観講トップのクビを取れなかった‥。しかしこのコラムの本題はそこではない。
 問題は、教団を除名された後に教団を訴えた裁判における自身の書面の中で、本来の敵であったはずの妙観講機関紙『慧妙』の記述を、同人が肯定的に延々と引用している事実だ。同人が昨年9月に作成した「報告書」なる書面には、教団を攻撃するための材料として、『慧妙』記事が2ページ以上にわたってそのまま引用されていた。要するに、“敵の敵は味方”の論理で、かつて宗門対策に功績をあげたはずの人間が、今ではその宗門側の機関紙を使って、教団を攻撃する材料として“活用”しているわけである。
 そうした風潮は、波田地グループ(※もう一人の除名者・田口某もその中に含まれる)がたむろするインターネット上の匿名掲示板「宿坊」にも反映されており、例えば小生を攻撃する場合も、『慧妙』記事がそのまま引用されていることが多い。「宿坊」といって、日蓮正宗を批判的に扱うサイトと本来は思われる場で、実は、日蓮正宗に“迎合”しているのが実態である。
 最近はますます『慧妙』の体質と似てきたようで、批判したい相手の「似顔絵」まで作成し、それを貼り付けるなどの手法も、『慧妙』そのままだ。もはや何でもありの世界のようである。
 小生の最近の実体験からすると、妙観講機関紙『慧妙』の記事を書いているのは、名誉棄損裁判の真実相当性の意味すら理解していない、相当にレベルの低い者である。そんな与太記事でも使わざるをえないほど、「宿坊」板も、ネタに困窮しているようだ。それは材料に事欠き、『慧妙』記事を裁判書類で引用せざるをえない、波田地克利本人と共通するものである。
 「大慢のものは敵に随う」とは、聖哲の言葉だ。資格を剥奪された元弁護士・山崎正友も、そうした軌跡を典型的にたどった人物の一人だった。当初は正信会(宗門内の非日顕派)に付き、その後日顕側に転じた。、現在、それよりは“小ぶり”とはいえ、波田地やそのグループ(※もう一人の除名者・田口某を含む)も、似た軌跡をたどっていることは明らかだ。彼らが「大慢の者」であることの、証明である。

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