山崎正友が自身の「犯罪逃れ」のため、教団に“覆面攻撃”を続けた過去

 山崎正友は元教団の顧問弁護士だった。教団生え抜きの第一号弁護士として、大いに期待された人物だった。当然のこととはいえ、当初はまじめに仕事をした時期があった。そのため山崎にしても、当初から反逆しようという明確な気持ちがあったわけではない。結果的にそうなってしまったという表現のほうが正しいだろう。私の解釈と表現では、自ら関与して作り出した“大きな渦”のようなものに自分自身で落ち込み、その渦の回転とともに無残に流されていったというイメージだ。
 現在随所で話題となっている「波田地克利」も同様であろう。92年1月には日蓮正宗対策の功を認められて、創価学会本部職員に雇用され、聖教新聞社に席を置き、当初はまじめに仕事をしていたようだ。そうした人物がなぜに教団を「除名」されるような事態に陥ってしまったのか。私の言葉でいえば、上記の山崎の場合とまったく同じ表現を用いるしかない。

 自ら関与して作り出した“渦”のようなものに、自分自身で落ち込んでいった――。

 組織内組織の構築と分派活動による会則違反行為。さらに特定の教団幹部に一定の悪感情を持ち、たまたまネタらしき情報を耳にした。そこにおいてとるべき行動は、その人間の資質によって大きく異なる。結論として、本当に教団の発展を願う者なら、波田地のような行動はとらなかったはずである。最低限の事実確認と確定作業が前提となることは明白だからだ。だが彼はそれを十分に行う前に、あやふやな情報のまま≪行動≫に出てしまった。その根底に、同人の持つ私的な悪感情と、同人特有の偏った正義感があったと推測せざるをえない。
 同人の行った行為が、通常の会社組織でなされた場合を想像してみよう。会社の役員クラスの真偽不明のスキャンダルを、社員が好き勝手に一部社員向けに情報発信すれば、社内ばどうなるか。そのような「常識」の欠如した社員は、その一点だけを取り出しても、解雇されるのは当たり前だろう。
 かつて山崎は、自ら関与した会社経営に失敗し、借金とりに追われ、さらに恐喝などの犯罪行為を起こすかたわら、教団に対して「覆面」で攻撃を続けた。波田地はそうした背景こそ異なれ、教団や教団幹部に対し、自ら作った独自グループを活用して攻撃を扇動してきた。自身の≪不始末≫が原因となり、教団攻撃に向かう構図は、山崎の場合と変わらない。
 客観的にみれば、それはすべて、自分自身の責任である。また、それ以外の何物でもない。だが「反逆者」というカテゴリーの人々は、自身の責任を感じることも、認めることもできない。すべて他人のせいにして、責任転嫁して生きていくしかない存在なのである。

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