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2016/8/28 11:41
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次回判決となった元職員3人による蒸し返し裁判
この夏、初めて中国・南京を訪れた。前々から計画していたもので、南京虐殺が行われた現場を自分の目で直接確認し、土地勘を得るのが主な目的だった。機中で手にしたのは鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』(文藝春秋、1973年)。行きと帰りに計2回通読したが、立派なノンフィクション作品と感じた。誤解のないように申し添えるが、この本は南京事件はまぼろしで犠牲者などいなかった、と記述している本ではない。南京で日本軍が虐殺を行った事実はニュートラルな立場から明確に認めている本である。この本がまぼろしと指摘しているのは、百人斬りを行ったという理由で戦犯処刑された2人の日本軍兵士の事件で、本書を読む限り、百人斬りが実態に行われたかどうかは確かに疑わしいとも思えてくる。ただしこの百人斬りは、南京虐殺事件の「枝葉」にすぎず、事件の本質とはほとんど無関係だ。 夏の南京はとにかく暑かった。久方ぶりの中国大陸だったが、交通法規のいい加減さには改めて驚いた。特にバイクが歩行者用の道路に侵入するので、歩くのにも四方八方に細心の注意を払わなければならない。交通事故に遭わずに帰国できてほっとしたくらいだ。 さて本題は、最近出版された清水潔著『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋)である。冒頭の書籍と同じ出版社から出されたものだが、近年の「なかった説」の感情的な大合唱に抗するかのように、事実を事実として伝えることを試みる、非常に公益性の高い仕事である。しかも約80年前の事件を現在の日本と関連づけながら、いつか来た道に戻る危険性へ警鐘を鳴らす。当時も「邦人保護」を名目に、南京攻略につながったとする。南京虐殺事件の真相を再発掘した労作に、小生も頑張らねばと著者に感謝したい気持ちになった。 <><><><><>南京事件考
20160827<> 創価学会の元本部職員で、分派活動が遠因となり解雇・除名となっていた3人が新たに起こしていた裁判で8月9日、第3回口頭弁論で結審し、次回に判決言い渡しとなっていたことが明らかになった。判決は10月11日、東京地裁で言い渡される。 3人は川崎学生部の出身で、2003年ごろに結成された任意グループ「足軽会」に所属。組織内組織を構築し、「対話」という名目の威圧的言動などが問題となり、職員を解雇されていた。そのため2012年12月に解雇無効を求める裁判を提起したものの、東京地裁、東京高裁ともに請求を棄却し、昨年10月に最高裁で確定した。にもかかわらず、こんどは職場で不当な配転をされたので各自に100万円の慰謝料を支払えという新たな内容の訴訟を今年3月、創価学会に対して起こしていた。これに対し教団側は、解雇無効を求める裁判ですでに同じことが争われている決着済みの問題であり、蒸し返しの裁判にすぎないと、早期終結を求めていた。
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2016/8/26 11:40
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妄想を既成事実化して喜ぶ、もはやカルト住民のための「宿坊」板
アクセス数が昨日急速に伸びたので何事かと思いきや、「宿坊」板に当サイトの記事のリンクが張ってあったことが原因の一つのようだ。この掲示板について、創価学会の分派グループとして処分された波田地克利らがハンドルネームなどを使い、自分たちの都合のいい情報を発信するための基地として利用していることは何度かここでも記事にした(それでいて本人は、自身の除名無効を訴える裁判では、「まったく関与していない」などと法廷内で供述した)。 この板を評して、小生は「公衆便所の落書きに近い状況」と書いたが、訂正する必要性はまったく感じられない。むしろ「井戸端会議を文字にしているレベル」という評価を、さらに追加すべきであろう。 Aという人物とBという人物が井戸端会議を始めたところで、Cという人物がこうじゃないのと声をあげ、さらにDという人物がいえいえ私はこう思うわよと続けるといった感じで、そうした裏付けのないあやふやな噂話も、消えてなくなる「会話」であれば問題はさほど大きくなさそうだが、それが不特定多数に拡散されるネット上で随時文字化されるとなれば、そうはいかない。 井戸端会議や便所の落書きを使って、教団攻撃に活用している波田地一派。さらにそうとは認識せずに、結果的に彼らに協力する形となる無認識の善意の投稿者たち。 「宿坊」板の本質は、教団を除名された人間が、その腹いせに、確たる事実的根拠もなく井戸端で行う会議を発信し続けている姿にほかならない。もし本当に教団幹部を攻撃したいのなら、自分の「実名」を名乗って、通常のメディア(マスコミ)上で堂々と告発すればよい。 そうではなく、“仲間内”だけで固まって、一人でやるのは不安だが、みんなで騒げば安心だとばかりに、井戸端会議方式で教団幹部の攻撃を続けている姿こそ、彼らの本質を示している。本来なら、事実的根拠をもって行うやり方がほかにあるはずだが、彼らは「騒ぐこと」自体が目的であり、そうした≪真の目的≫に付き合わされるのはあまりに馬鹿げている。
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2016/8/25 11:14
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お知らせ
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2016/8/24 11:12
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問題とされた4件のコラム
今回の裁判で問題とされたのは、以下の4件のコラム日記である。具体的にタイトルを列記すると、以下のようになる。
●「違法盗聴に関与した」と相当性を認定された『阿部日顕』直属の謀略集団「妙観講」(2007年1月12日付)
●「門田隆将」こと門脇護のやったこと(中) 「富士宮」から洩れた「捏造・談合」の証拠(2008年3月12日付)
●「妙観講」が近く全国大会か(2009年4月10日付)
●「盗聴教団」日蓮正宗の20年(2011年11月28日付)
4件の記事は便宜上、裁判審理においては上からコラム1~4の番号がふられていたが、ここでは大草の社会的評価を低下させない(=名誉棄損には該当しない)と裁判所によって認定された、コラム2の記事を再掲する。
2008/03/12(Wed) 「門田隆将」こと門脇護のやったこと(中) 「富士宮」から洩れた「捏造・談合」の証拠
「週刊新潮」の門脇護・副部長が、新潮社時代に犯した最大の犯罪的行動は、やはり函館の信平夫婦を使った「でっち上げキャンペーン」であろう。それは96年2月から約3年間にわたって続いたが、夫婦が起こした訴えは、「事実的根拠が極めて乏しい」との理由で≪訴権の濫用≫として却下され、01年6月に最高裁で確定した。裁判では、新潮のキャンペーンがいかに事実無根の内容であったか、多くの証拠写真や証拠のテープで裏づけられている。まさに煙のないところに煙を無理矢理に立てたのが、「週刊新潮」の一連のキャンペーンだったとさえいえる。
よく知られることだが、この記事の先鞭をつけたのが、当時、編集部「次長」であった門脇護デスクである。同デスクは96年2月、函館を訪れ、直接、夫婦に取材を行っている。そのとき取材の手引きをした人物は、この事件の「背景」を知るうえで重要な手がかりを示す。妙観講――。当時から、日蓮正宗法主だった阿部日顕の“直属部隊”とされていた組織で、近年は、盗聴疑惑が裁判所に認定されるなど、阿部日顕の諜報機関的な役割を担ってきたと見られる活動家グループである。
手引きしたのは、そのナンバー2であった「佐藤せい子」という副講頭と、佐貫某という男性信徒の2人。佐藤は過去に、妙観講・講頭の大草一男と同棲した経験をもつ人物として知られる。もっとも、現在大草の妻である佐藤の実妹も一緒の同棲ではあったが‥‥。
そうしたグループが新潮の担当デスクを“引率”して「謀略」を仕掛けたのが、この信平狂言事件だった。当時、阿部日顕は、米国シアトルで起こしたスキャンダル事件(現地の売春婦との支払いをめぐるトラブル)を報じられ、名誉毀損訴訟を起こしていた。その裁判はその後、記事内容の「真実性」がすべて認められることになるが、こうした≪真正のスキャンダル≫の“意趣返し”として、彼らは、≪架空のスキャンダル≫をでっち上げてきたわけである。
もともと、函館の信平夫婦といえば、すでに当時、金のためならなんでもやる人物として地元では知られていた。実際、96年6月に狂言訴訟を起こしたあと、夫の信平醇浩は周囲に「もうすぐ億単位の金が入る」などともらしていた事実がある。
ともあれ、門脇デスクは取材を敢行するも、当初、想定していたような「被害」なるものを聞き出すことはできなかった。そこで彼が言った言葉は、「最初のパンチがものすごいものでないとダメなんです」。さらに「何とかして訴訟を成立させたいと思って聞いているわけです」。この段階ですでに訴訟を前提に取材していることがよくわかる(夫婦の訴訟提起は、それから4カ月後)。
さらには、「うん、民事の訴訟できますよ、民事しかない!」
後に誌面に掲載された被害内容が真実なら、明らかな刑事事件であったにもかかわらず、刑事告訴を避け、あえて民事訴訟による損害賠償請求でいこうと知恵を授けている。刑事事件としては耐えられないような、客観的根拠の薄弱な内容と担当デスク自身が認識していたからにほかならない。
このときの生々しい取材テープは、後に外部流出することになる。発信元は「静岡県富士宮市」。つまり、日蓮正宗の総本山所在地であり、妙観講筋から洩れたとみるのが自然であろう。
この問題で結局、政党機関紙で同事件を取り扱った時の総理大臣は、3度にわたって謝罪した。一方、同じ問題で“猿回しの猿”として踊らされた「張本人」である門脇デスクは、謝罪の言葉をおおやけにしたことはこれまでに一度もない。それどころか、非を認めようとしない態度を今もとっているとさえいわれる。
「でっち上げ」のキャンペーン報道に火をつけ、さらにそれが決定的な「誤報」であったことが明らかになったあとも、彼は何らの責任も取ろうとしないまま、平然と仕事を続けてきた。
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2016/8/23 11:06
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今回あえて上告を行わなかった理由
すでに「裁判記録」のところで報告している通りだが、5年あまり前に妙観講の大草一男が突然訴えてきた裁判について、このほど上告期限の8月18日をすぎたが、今回はあえて上告を行わないことにした。理由は、東京高裁判決が、司法の最高機関である最高裁判所で確定する“最悪の事態”を避けるためである。
ご存じのとおり、日本の最高裁は99%、事実審理を行わない。最高裁で判断が変わるという事例もほとんどない。通例は半年ほどたったころに、上告棄却か上告不受理の通達が書面で送られてくるだけである。
今回の私の裁判では、1991年に連続的に行われた妙観講幹部の手による違法盗聴事件に関する記述について、公共性も公益性もないという驚くべき判決がくだされた。その理由として、高裁判決は刑事的に公訴時効が成立していることを挙げているが、その理屈でいけば、例えばえん罪事件の自由な論評なども行えなくなってしまうことになる。ましてこの事件は、違法行為を発注した窓口が当時の妙観講幹部であったことがすでに≪確定≫しており、焦点は≪本当の依頼者≫がだれなのかということであり、その意味では、いまだ未解決の事件というしかないものである。またそのための解明作業が、その後もずっと言論の応酬という形で続いてきた問題である。
すでにふれたとおり、裁判所からすれば、公共性・公益性を認めてしまえば、真実性・真実相当性の判断を余儀なくされるため、結果的に真実性・相当性を認める認めないにかかわらず、両当事者の膨大な量の主張内容や証拠を精査し、判断を下さなければならなくなる。今回裁判所は、公共性や公益性という前段階においてあえて“足切り”することで、そうした「苦労」を避けたものと受けとめている。
もう一度書くが、違法盗聴事件を起こしたという行動そのものに、≪道義的な時効≫などというものは存在しない。≪真の発注者≫がだれであるかは、残念ながら裁判では確定できていないが、目的のために手段を選ばなかったという歴史的事実は、今後も永遠に残る。
【裁判記録(最下段)
http://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/trial/content0005.html
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2016/8/22 11:05
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波田地の虚実(下)本質は逆恨みの感情
今年4月に行われた波田地尋問の続きに言及しよう。この日2時間近くかけて行われた本人尋問の中で、ほかにも注目すべきやりとりがあった。一つは2013年秋に講談社発行の写真週刊誌『フライデー』に掲載された「創価学会『池田大作後継候補』を襲った怪文書騒動」と題する2ページの記事について、波田地が被告側代理人から反対尋問を受けた際のやりとりである。 この記事は、波田地本人のもとを警視庁四谷署の刑事が訪問し、任意同行を求めた際の記述から始まり、同人が教団の本部職員としてどのような仕事をし、どのような経緯がこれまであったかなど、波田地本人を中心とする記事にほかならない。署名入りの記事であり、取材・執筆者は「高橋篤史(ジャーナリスト)」となっている。 もともと波田地が教団を除名される原因となった一つに、マスコミへの情報漏洩が挙げられていた。だが、そうした疑いを払拭する意図と思われるが、除名無効を求めたこの裁判で同人は、この記事の取材を一切受けておらず、取材執筆者は本人に確認もしないで勝手に記事を書いた旨、法廷内で堂々と証言したのである。マスコミで仕事をする者の一般常識として、こうした記事を書くのに、当事者本人に取材しないで書くということは通常ありえない。だが、波田地はあくまでそのように言い張った。後日、私のほうから高橋氏に確認してみたところでは、「取材源に関することはお答えできない」との回答だった。 この日の尋問の終わりころで、波田地は谷川佳樹副会長について、谷川氏が学生部長のころから「波田地の地方講演を中止にしろ」などのさまざま妨害を受けてきたなどと供述。同人が谷川副会長に対し、個人的に敵意を抱いている様子がうかがえた。波田地は代理人から質問もされていないのに、一方的に自身の主張をまくしたてる場面も見られ、裁判官から「待ってください」とたしなめられる姿も。 結論として、波田地問題の本質は、理屈というより、表面上はそのように擬制されているとはいえ、その根底に私的な「感情」があることは明らかである。上記『フライデー』記事においても、「噂話に明確な証拠はない」と記述されているにもかかわらず、同人は裏付けのない噂話を教団幹部を攻撃する材料に使ってきた(現在も同じことが「宿坊」掲示板で行われている)。 「法」に基づくのではなく、「特定の人」を中心とした分派グループ。教団内において、いつしか分派活動が局地的に発生し、教団内部を“攪乱”する主体と化してきた。何も知らない会員からすると、表面的な主張からはその本質は容易にうかがえない面もあるかもしれないが、彼らの行動が私的感情に根差すものであり、教団の発展を純粋に求める行動ではないことを指摘しておかなければならない。
※このサイトの運営および一切の記述は、柳原個人の判断によります。(Y)
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2016/8/21 11:04
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「妙観講・法務部」の都合のいい主張
日蓮正宗妙観講の機関紙である『慧妙』が名誉棄損裁判の基本もわきまえないお粗末な記事を掲載して恥をさらしたことは8月16日付の当コラムで指摘したとおりである。妙観講は今度は自身のホームページ上で別の記事を掲載し、そこでは私の指摘した誤りをこっそりと訂正している。つまりは、間違いを認めたということにほかならない。ところで、看過できないことは、そこでもお粗末な主張を彼らが繰り返していることだ。「法務部よりお知らせ」と題する文章では、以下のような記述が見てとれる。
「今後、『盗聴報道訴訟』判決を利用して、妙観講および講頭を誹謗中傷することができなくなった」 「妙観講および大草講頭に対する誹謗の数々は、完全に崩壊した」
私が都合のいい主張にすぎないと述べるのは、上記の2点についてである。当方は大草を≪誹謗中傷≫しているわけでは決してない。 まず前提として誤解のないように言っておくが、大草の違法盗聴事件の関与について、これまでの裁判は「大草の関与がない」と事実認定してきたわけではない。あくまで大草の直接的関与を認めるには「証拠が足りない」と言っているのであって、そこには大きな意味の開きがある。例えば先行訴訟である梅澤訴訟の一審判決では、「大草の本件電話盗聴の関与を認めるに足りる証拠はない」と言っているだけであり、波田地訴訟の判決でも、「大草の本件盗聴への関与を認めるに足りる証拠はない」と述べているにすぎない。 逆に、盗聴報道訴訟の判決においては、「大草が他の盗聴についても関わっていることは疑うに十分」と認定しており、さらに「(盗聴への)関与が疑われる」「原告ら(妙観講および大草)がこれに全く関与していないと断定することは甚だ困難」とまで認定している。 妙観講・法務部がこうした過去の認定を度外視し、都合のいい主張をホームページ上で“喧伝”していることがおわかりいただけよう。 今回の私の裁判でも、「控訴人(柳原)は、これらの事実の裏付けとなるような新証拠を提出しない」と裁判所は述べているのであって、平たくいえば、新たな証拠が足りないと言っているだけである。 ましてや調査会社帝国リサーチに数々の違法盗聴を発注し、違法行為を行わせたのが、大草と親しい間柄にあった妙観講員(元最高幹部)であったという事実は、すでに永久に動かすことのできない事柄である。その意味では、大草に代表者としての重大な「監督責任」があったことは明らかであり、妙観講に何の責任もなかったかのような上記の主張は、事実と異なるプロパガンダの類いでしかない。 このような主張を目の当たりにすると、妙観講や大草が自分たちに都合のいい主張を行うために裁判を“利用”している実態がわかる。
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2016/8/20 11:03
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波田地の虚実(中)「宿坊」掲示板に群がる者たち
波田地克利を中心とする通称・波田地グループが教団内に一定の組織内組織を形成し、分派活動を行ってきたことは知る人ぞ知る。何をもって分派活動とするかは線引きが難しい場合もあるかもしれないが、このグループは度を過ぎていたというしかない。すでに、同グループの分派活動の情報拠点が、インターネット上に公開されている掲示板「宿坊」に事実上、移行していることはすでに紹介したとおりだ。この掲示板を観察していると、およそ事実かどうかの裏付けの確認さえ取れていないようなあやふやな情報が、投稿者の感情をまじえ、ごちゃまぜに投稿されていることがわかるだろう。言うなれば、“公衆便所の落書き”に近い状況である。 中でも特定幹部に対する攻撃は、常連投稿者を中心に執拗なまでになされていて度を超している。こうした行動の根底にあるのが、波田地を中心とするメンバーの「感情」に発するものであることは、思慮分別のある者が見ればすぐに明らかとなろう。問題は、それらの攻撃が明確な証拠に基づかず、“噂話”の次元でなされていることである。 大なり小なり、組織というものを預かった者なら容易に理解できることだろうが、事実にすら立脚しない意図的な噂話をもとに、組織を“攪乱”する者が出てきたらその組織はどうなるか。これは明確に「組織破壊行為」そのものであり、処分の対象となることは、あらゆる組織体において当然のことである。根拠のない分派活動がどれほど組織の活力を失わせるか、わかっていない者たちがこの「宿坊」板に集まっているというほかない。 過去に教団は、山崎正友・原島嵩という2人の脱会者を出した。いずれも利用し合う関係の2人であり、亡くなる年(2008年)まで同じだった。歴史は繰り返すとはよく言ったもので、かなりミニチュア版ではあるものの、今も似たような状況が生まれている。そうした者たちによって利用されているが、現状の「宿坊」掲示板なのだ。 山崎・原島の時代はインターネットなどという文明の利器は存在しなかったのでこうした問題は生じなかったものの、「宿坊」板をめぐる現状は、あたかもかつての山崎・原島が影響力を持っている掲示板で、わけのわかっていない者たちが自身の教団に関する不平不満を開陳し、さも正当性をもって他を教育せんかのような浅薄な知識人気どりの者たちが結集しているのと同じことである。 そもそも教団は、このような有象無象の情報によって、よりよく変革されることなどありえない。もしそのような志を持つのであれば、組織の「内側」において、自身の熱意と行動で身の回りから地道に変えていく作業を続けるしかあるまい。
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2016/8/19 11:02
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波田地の虚実(上)プライドだけ高く、信心は弱い
波田地克利が創価学会を訴えている裁判で、本人尋問が行われたのは今年の4月26日のことだった。東京地裁408号法廷の狭い傍聴席を埋めたのは10人ほど。黒縁メガネに白髪まじり、年相応ながらやけに太った姿が目に入る。2時間近く行われた尋問の中で、印象に残った場面を一つだけ挙げよう。 それは1991年4月、創価学会の学生部に在籍していた波田地が、金褒賞(教団内で功労のあったものに与えられる称号)を表彰されたくだりだ。このとき同人は、「副会長がまだほとんど頂いていない時代に、池田名誉会長から(直接)頂いた」と自慢げに語った。 第二次宗門問題の際、同人が教団側で活躍したことは事実で、その際、副会長クラスでもまだほとんどもらっていない≪特別の賞≫をオレは頂いたんだという自慢めいた話だった。実際、本人にとって、その頃が人生の絶頂期だったということだろうが、「これから(=未来)」の姿勢が常に大切となる信仰の世界において、過去の栄光にすがる後ろ向きな姿に、強い違和感を覚えたのも事実である。 例え過去の宗門問題で一定の功績があったとしても、現実には、同人は自ら日蓮正宗の阿部日顕などを訴えた民事裁判で、当初意図したような「勝訴」を得ることができていない。阿部日顕や妙観講講頭の大草一男の盗聴関与の事実を裁判所に認めさせることができなかっただけでなく、そうできなかった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。 仮にまともな信仰者なら、「自分の祈りが足りなかったからこうなった」などある程度は自省するものだが、同人の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。なぜならそれが同人の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の「環境」に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪退転者≫に共通する姿ともいえる。 比較するには波田地は小物すぎるが、晩年の10年ほど私も取材で関わることになった元弁護士・山崎正友も、その点では全く同様だった。自分が不利益を被っているのはすべて他者のせいであり、相手への憎悪が募り、結局、“逆恨み”の人生で終わってしまった。彼らの辞書には「反省」の二文字が欠落しているため、結局は除名されるような結果すら生んでしまう。また、除名された後も、すべて相手への批判を繰り返すだけだ。そんな姿は、「山崎正友」という過去の≪大先輩≫がいるので、我々としては特に驚く必要もない。
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2016/8/18 10:10
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共産党考
私が日本共産党に関する取材を最初に行ったのは98年だったと記憶する。あるムック本の取材で、元赤旗記者と面談取材した。ほかにも何件か依頼を行ったが、取材に応じてくれたのはその人だけだった。その中で幾つか覚えている言葉がある。一つは「共産党員は社会から疎外されているので内々の結びつきは強い」(趣旨)といった言葉だ。その頃から私は赤旗購読者としてすでに20年近い。 この党が「建前だけの政党」であるとの認識は20年近くたっても、何も変わるところはない。時々の政治状況に便乗して、票を増やしたり、減らしたり‥。けっして自身の行動や本質的な主張(=日本を共産国家にする!)で支持を増やしているわけではない。まして日本が共産党に乗っ取られることがあれば、すでに世界の多くの国で実験済みのように、日本は「極悪ファシズム国家」に変容し、人権もくそもない劣悪社会へと転落してしまうだろう。彼らは現状においては、≪微笑みのファシズム≫の体現者にほかならない。 私がこんなことを書くのは、この党には今もさまざまな思いがあるからである。ただ言えることは、このような党と長年関わっている党員らの中には、抜き差しならない≪悪しき体質≫を身に付けた者が出てくることだろう。それは地域社会において顕著にあらわれる。 共産党譲りの独善的行動、煽り主義、究極的なKY体質‥。多くの住民からはすでに侮蔑の対象にすらなっているというのに、本人はそれに気づかない。周りの党組織も知ってか知らずか関与しようともしない。やはり「共産主義はダメだ」とつくづく感じる昨今である。
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2016/8/17 10:09
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波田地克利が創価学会を訴えた裁判 一審判決は10月へ
組織内組織の構築をはじめとする分派活動や情報漏洩など教団内で会則違反行為を重ねたことで2013年12月29日、創価学会を除名処分となっていた元本部職員の波田地克利(58)が、宗教法人創価学会に対し会員資格の地位確認(=除名の無効)を求めて訴えていた裁判で7月、審理が終結し、一審判決が10月27日に言い渡される運びとなった。 この裁判で、原告・波田地は4月下旬、東京地裁で本人尋問を受け、種々弁明を行った。その中で、同人は会内の波田地グループの分派活動の“情報拠点”であった専用メーリングリストや専用ツイッターなどが現在、インターネット上の公開掲示板「宿○」に事実上、そのまま移行していることを認めた上で、自身ではそこに一切「書き込みをしたことはない」「全く関与していません」などと供述した。
※このサイトの運営および一切の記述は、柳原個人の判断によります。念の為。
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2016/8/16 10:06
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間違いだらけの妙観講機関紙『慧妙』
昨日、出張から戻ってみると、妙観講機関紙『慧妙』(8月16日号)が届いていた。すでに先週には届いていたようなので、少し早く送ったということか。1面の脇に「自称ジャーナリストの学会幹部(柳原滋雄)に東京高裁が厳しい司法の鉄槌!」なる記事が掲載されていた。今回の高裁判決の結果を踏まえた妙観講側の主張が含まれているものだが、これを読んで、この記事を書いた「慧妙記者」は何もわかっていないんだなと呆れ返った。なぜなら事実関係が間違いだらけだったからだ。少し長くなるが記事の一部を引用する。
さらに女性スキャンダルについては、柳原の下卑た憶測に対し、「そのような事実を認めることはできない」と真実性を否定。盗聴への関与疑惑についても「(大草氏が)盗聴に関与したという事実を認定することができない」と真実性をキッパリ否定した。そして女性スキャンダルと盗聴への関与疑惑の相当性については、「先行訴訟ではいずれの裁判所も相当性を認めていないのだから、控訴人(柳原)が当該事実が真実であると信じるには、従前よりも増して、さらなる根拠が必要なのである。しかし控訴人は事実の裏付けとなる新証拠を提出していない」「先行訴訟の裁判所も、証拠を検討した上で相当性なしと判断したのである。よって控訴人の主張には理由がない」と、これまた明確に相当性を否定したのである。
「 」内は、さも判決からそのまま引用したように装って記述されているが、実際は判決原文そのままでなく、慧妙記者の判断が加えられている。だがそこに大きな誤りがある。ここで「先行訴訟」に梅澤訴訟・波田地訴訟が含まれていることは経過からして明白だが、この2つの裁判は名誉棄損訴訟ではない。裁判所が「相当性」(=真実相当性)を判断するのは名誉棄損訴訟においてであって、盗聴被害者本人が損害賠償を求めた上記2件の裁判で、そもそも真実相当性など判断されていないのである。つまり慧妙記者は、裁判の基本的な成り立ちを理解しておらず、梅澤訴訟・波田地訴訟の判決すら読まないで、この記事を書いていることがわかる。 また上記の書き方では、大草の女性スキャンダルがこれまでも何度も裁判の争点となり、そのたびごとに真実ではないという判断が下されてきたといわんばかりの書き方をしているが、それも誤りである。実際、大草の妙観講内における女性問題が具体的に本格的な形で裁判の争点になったのは、当方の認識では、今回が初めてである。 問題となった当方の過去のブログでは、盗聴報道訴訟において、大草の女性問題に関する証拠が数多く提出されていることを指摘しただけであり、具体的な女性の名前や具体的な行為については一切言及していない。それにもかかわらず裁判の争点となった以上、当方でもできるだけ過去の事実関係を調査し、迫れるところまで迫ったつもりである。その上で、一審においては、当方側から妙観講に関する3人の女性の証人申請を行った(うち一人は現職の妙観講最高幹部)。ところが東京地裁(倉地真寿美裁判長)は、重要証人にほかならないこれらの申請を一切認めず、何らの証人尋問すらも行わないまま、「真実性なし」との判断を下す結果となった。 さらに慧妙記事では、裁判所においてこれまで大草の盗聴関与の相当性が一度も認められてこなかったかのように記述しているが、意図的な誤報(あるいは都合の悪い事実の隠蔽)にほかならない。当方の本件コラムが題材としたのは、大草の盗聴関与の相当性が初めて認定された盗聴報道訴訟の一審判決に関してであり、こうした事実誤認あるいは意図的な誤報・歪曲は、悪質極まりない。 上記のように、今回の慧妙記事は、名誉棄損裁判における「相当性」の意味を理解できないお粗末な記者が担当している。記事の最後で「(柳原は自身のブログで)子供だましの裁判所批判を書き殴っている。これが『公平なジャーナリスト』の弁かと、程度の悪さに笑いが止まらない」と書いているが、「笑いが止まらない」のは、こんな与太記事を読まされる妙観講員と当事者である私のほうであろう。
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2016/8/10 9:36
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妙観講幹部盗聴事件における波田地克利の功罪
妙観講の本部職員で教学部長を務めたこともある最高幹部(当時)が調査会社帝国リサーチに発注し、複数の違法盗聴事件を引き起こしていた問題で、事件が明るみになったのは1995年の暮れから翌96年にかけてのことだった。盗聴事件そのものは、発覚している分だけでも、91年5月の波田地宅盗聴事件のほか、同年11月に行われた日蓮正宗宣徳寺盗聴、さらに同年11~12月に行われた梅澤十四夫宅盗聴事件などがある。いずれも同一の調査会社発行の請求書や領収書が存在し、妙観講の最高幹部が“発注”した違法盗聴事件である事実は動かしようがない。 裁判的には、妙観講トップの大草一男の責任までは認定されてこなかったということにすぎない。この問題で、梅澤訴訟と波田地訴訟という二つの先行訴訟が行われたことはすでに述べたとおりである。問題は、いずれの裁判においても、くだんの妙観講幹部の責任は認められながらも、大草自身の関与の事実は認められなかったことである。 もしそれがきちんと認められていれば、今回の私の裁判など、少なくとも盗聴部分においては起こりえなかった問題とさえいえる。 小生の力不足により、今回、大草の盗聴関与の真実性はおろか相当性すら裁判所に認めさせることはできなかったが、先行訴訟においてはそれはより容易に行えたはずである。波田地訴訟の原告本人であった波田地克利は、それが達成できなかった理由について、当時の他の関係者の悪口を並べたて、自身には何の責任もないかのように振る舞っているが、客観的にはそれでは公平な態度とはとてもいえないだろう。裁判の成り立ちからして、原告本人に最大の責任があるのは、当然のことである。
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2016/8/9 9:34
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3人の元創価学会本部職員が起こした裁判
元創価学会職員3人のブログなるものがメディアで何度か取り上げられている。私はブログで最初に彼らの文章を読んだときに、さまざま池田名誉会長の思想を語り、それを実践しようという行動は書かれているものの、肝心の教団を解雇・除名された「理由」について明確に書かれていないことがずっと気にかかっていた。その後、私が目にしたメディアは『週刊ダイヤモンド』だったと思うが、そこでも腑に落ちるような説得性のある理由(=原因)は明示されていなかった。 調べてみると、彼らはすでに創価学会に対して何件も裁判を起こしている。一つは解雇無効を訴えるもので、2012年に提訴され、昨年10月、請求棄却で最高裁にて確定している。その上で彼らは今年3月になって、職場で配転命令が不当な動機でなされたなどと理由をつけ、今度は損害賠償を求める裁判を教団に対して起こし、現在、進行中だ。教団側はすでに決着のついた裁判の蒸し返しにすぎないと反論している。 この問題はもともと、教団の学生部、地域的には神奈川県川崎市の組織から生じている。2002年ごろ、彼らの中に「足軽会」という任意のグループがつくられ、固い結束を誇ってきたという。足軽会の中心者が当初のころに構成メンバーに送ったメールには、「抜けることは許されない」「抜けることを認める同志は叩き潰す」などと書かれていて、その際のメンバーは12人ほどだった。3人はその12人に含まれていた人々である。彼らは年数回、研修旅行や懇親会を行うなど組織内組織を形成。「法」を根本とした行動ではなく、特定の「人」を中心としたカルト的グループとして機能するようになっていったようだ。それがこの問題の根底にあるように思われる。 彼らの異様なまでの頑なさは、法を基本とするのではなく、特定個人の“意向”に恭順するカルト的体質に根ざしていると感じとれる。表面的な主張・行動を見ているだけでは≪本質≫は見えにくい。本日もその“蒸し返し裁判”の口頭弁論が開かれる模様だ。
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2016/8/8 9:33
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ころころ変わった大草一男の主張
> この裁判でころころ代わったのは裁判官だけではない。大草一男自身の主張も同様だった。この裁判は先行訴訟から多くの訴訟の蓄積があるため、大草の法廷内供述に関しても、その時々の証言内容を読み比べることができる。だが大草自身の証言の重要な部分が、大きく変遷してきたことも明らかだった。 例えば、当時の妙観講幹部(大草の昵懇の部下)が調査会社に盗聴を依頼するにあたって、その費用の出所に関して、大草は最初の梅澤訴訟(2000年9月)においては、「(妙観講幹部が)親からの土地を土地転がしして、大金を得たと発言していた」と証言。さらに女性から貢がせていたことも理由として加えていた。 それに続く波田地訴訟(2002年5月)では、上記の証言を変更し、「遺産の相続だとか、そういう問題じゃない」と、遺産であることを否定に転じた。それでいて土地転がしと女性に貢がせたとの主張を維持するという矛盾に満ちたものだった。 さらに盗聴報道訴訟(2005年7月)では、貢いだ女性の具体的氏名を尋ねられると、答えないまま、はぐらかす態度をとった。 そうした経緯をへた後の本件裁判(2015年5月)では、「父親の財産を自由に管理していた」とさらに新たな具体的主張が飛び出すことになった。一方で土地転がしという年来からの主張はトーンダウンを見せ、逆に女性に貢がせていたとの主張は姿を消した。 こうした主張の≪変遷≫は、大草の法廷内における証言としては珍しいものではない。結論として、先行訴訟(=梅澤訴訟・波田地訴訟)は、妙観講幹部の「単独犯行」であるかのような、矛盾に満ちた結論を導き出す結果となったが、そうした単独犯行説の「動機」についても、大草供述は見事に変遷してきた過去がある。言うまでもなく、法律の世界においては、供述の≪変遷≫は信用性のなさを証明するものとなりかねない。これら一連の事実経過は、この事件の本質を考える上で、注目に値する。
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2016/8/7 9:32
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先行訴訟の重み
妙観講幹部が調査会社に依頼した盗聴事件が実行に移されたのは1991年。事件が初めて世の明るみとなったのは4年後の95年末のことである。この問題で最初に裁判が提起されたのは97年6月で、訴えたのは梅澤十四夫という人物だった。だが運のないことにこの人物は訴えてわずか一カ月後に急逝。訴訟そのものは息子が引き継ぐ形で続けられた。被害者本人がいない状態で裁判を続けたのだから、真相解明という意味では大きな障害となったことは明白である。結論として、この裁判では大草の盗聴関与の事実は認められず、2000年に最高裁で確定した。
もう一件、盗聴被害者が訴えた裁判として知られるのは、91年当時、創価学会の学生部幹部だった波田地克利の起こした裁判である。提訴は99年に行われ、04年に最高裁で確定したが、梅澤訴訟と同様、ここでも大草関与の事実は認められなかった。
この2つの裁判が先に最高裁で確定したことは、この問題の司法的限界を構成してきた。「先例」を重視する世界において、その後の関連訴訟に大きな制約を与えてきたからだ。
当時の妙観講本部職員(最高幹部)が調査会社に直接依頼し、実行させた盗聴事件であったにもかかわらず、先行訴訟において、その責任は妙観講トップには課せられなかった。つまり、本部職員が「独断で行った」とみなされたに等しい司法判断だったわけだが、そうした判断が大きな“矛盾”を残したままであることは、今においてもまったく変わるところはない。
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2016/8/6 9:31
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ころころと代わった裁判官
日蓮正宗妙観講の大草一男が5年近く前に突然訴えてきた裁判で、控訴審は約1年かけて行われた。その間、控訴審判決の期日を入れて4回の弁論が開かれている。だがわずか1年で、裁判長をはじめとする裁判官がこれほど目まぐるしく変わった裁判も珍しいだろう。累計で7人が関わっている。具体的には以下の通りだ。
第1回 高世三郎、中島基至、福島かなえ 第2回 高世三郎、中園浩一郎、福島かなえ 第3回 阿部潤、中園浩一郎、篠田賢治 第4回 阿部潤、日下部克通、篠田賢治
左端は裁判長だが、当初、高世三郎裁判長は一審判決を見直すようなニュアンスの態度をとったので、控訴人である当方および当方の代理人は一定の期待を抱いた。なぜなら大草が関与したと疑われた盗聴事件について、一審判決は公益性がないと判断していたからだ。そもそも「盗聴」そのものは犯罪行為であり、司法がこれに対し公共性や公益性がないと判断することは常識的にも無理がある。もし無理があるとなれば、判決では当然ながら真実性および相当性の判断領域に踏み込まざるをえなくなるからだ。 ところが裁判官の立場にたつと、そこには躊躇する別の理由があったことも容易に推察される。過去の関連する裁判記録の集積があまりにも膨大で、それらも総合的に精査した判決を書くには、物理的にあまりに大きな時間と労力を要することは明白だからだ。この裁判で、そこまでして、とことん正しい結論を見出そうとする裁判官がどれほどいるのかという問題である。 話を戻すと、高世裁判長が上記のような態度をとったため、当初は期待をもったものの、途中で阿部潤裁判長に交代し、その間、陪席裁判官も総入れ替えの形となった。その証明として、1回目の3人のうち、判決まで残った人物は一人もいない。 この裁判で問われたのは、あくまで大草が違法盗聴に関わったかどうかの真実性および相当性だった。そのための双方の主張、立証がこの裁判においても膨大になされてきた。裁判の経緯から、大草の盗聴関与の真実性・相当性の判断に踏み込んだ100ページを超える、この問題の“最終決着”となるような判決を当方は期待していたわけである。だが、それは期待外れに終わった。 今回の高裁判決はページ数はわずか16ページ程度で、「一週間もあれば書けそうな判決内容」(関係者)にすぎなかった。判決では問題となったコラムが、盗聴事件から20年後に書かれたことを公益性・公共性がないことの理由の一つにあげているが、その間ずっと「争点」として継続してきた問題である。その意味では、25年の歳月をへて、司法的に最終決着が図られたとは到底考えられない。高裁判決は、大草の盗聴関与の真実性・相当性の判断を全く行わない(=裁判官が面倒を回避した)ものにすぎなかったからだ。
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2016/8/5 9:30
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ありえない事実誤認
昨日の判決中、冒頭の固有名詞などの単純誤記3箇所のほかに、本文の中で、重要な事実誤認があった。それは以下の部分だ。
「確かに、控訴人(※柳原)と被控訴人(※大草)との間には、名誉棄損を理由とする訴訟がこれまでに多数提起され、本件訴訟もそのような紛争の一つに過ぎないことが窺われるが‥」(平成27年(ネ)第4519号事件・東京高裁判決・12ページ)
私はこれまで多いとはいえないながら10件近い名誉棄損訴訟の当事者となってきた。妙観講の大草一男が私を訴えてきたのは本件が初めてである。大草が関与したと疑われた過去の盗聴事件について、梅澤訴訟(大草関与を認めず)、波田地訴訟(同)、盗聴報道訴訟(大草側敗訴)など多くの関連訴訟が行われてきたことは客観的事実だが、私は当事者として関わったことは一度もない。 これは「裁判記録」をふつうに読み込んでいれば、絶対に起きないレベルの事実誤認であり、要するに高裁の判決文を書いた裁判官は、東京地裁から上がってきた記録をきちんと読んでいない(あるいは理解していない)だけでなく、他の裁判官あるいは裁判長も、チェックのための最低限の確認作業すら行っていないことを意味する(冒頭の単純誤記3箇所なども、裁判官としておよそまともな仕事とはいえない)。これでは裁判所に、文句の一つも言いたくなるところだ。高裁判決に1年もかけておいて、これではしようがない。 あまり裁判所批判をしていると、どこぞの捏造記者と同じになってしまうが、日本の司法の劣化現象と捉えるしかなさそうだ。
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2016/8/4 9:26
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東京高裁判決 1ページ目に3箇所も“誤記” とうてい承服できない
日蓮正宗妙観講の大草一男(62)が本サイトの過去の記述が名誉棄損に当たるなどと主張して5年近く前に突然名誉棄損で訴えてきた裁判で4日、東京高裁で控訴審判決が言い渡された。判決内容は一審判決を踏襲するもので、変わりばえのしないものだった。こちらの名誉棄損の認定が一件分増えたが、賠償額は変わらないという内容だった。
この裁判では、大草本人の構内における女性問題および同人が25年前に起こしたとこちらが記述・主張した違法盗聴問題が争点となった。高裁判決はいずれも真実性・相当性のほかに、公共性・公益性がないものと認定した。
本件裁判では上記2点が争点となったため、当方からも双方の争点についてさまざまな主張を述べ、付随する証拠を提出している。
結論として、今回の高裁判決の特徴は、やっつけ仕事にすぎないという点に尽きる。その証拠に16ページ程度の短い判決にも関わらず、冒頭1ページ目に3カ所もの「誤字」が集中している点からも明らかだろう。具体的には、当方の弁護士である「若井」を「岩井」と誤記し、大草側の弁護士である「小川原」を「小河原」と記述。さらに「訴訟代理人弁護士」と書くべきところを「訴訟代人弁護士」と「理」を欠落させているといった具合で、およそその内容に信憑性があるとはみじんも感じられない。
私はこの判決を最初に目にして、ああ判決を書いた裁判官は、いい加減な姿勢で書いたんだな、要するにまともな審理などしようとさえしていないのだなと感じた次第である。それでも本件で一部敗訴したことは事実であり、私個人の責任にほかならない。
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2016/6/28 9:23
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大草一男の部下(当時)が関与した一連の違法盗聴事件 判決は8月4日へ
日蓮正宗妙観講の大草一男が、過去に調査会社・帝国リサーチ(96年に解散)が行った多くの違法盗聴事件に「一切関わっていない」などと強弁して、当コラムの記事を名誉棄損で訴えてきた裁判で、その控訴審判決が8月4日(木)15時30分に東京高裁で言い渡されることになった。 この違法盗聴事件は主に1991年に発生・実行されたもので、違法盗聴を実行した調査会社・帝国リサーチに調査依頼を行ったのが、当時大草の下で働いていた妙観講幹部の男性(60)であった事実はすでに動かないものとして確定している。この盗聴事件で使われた金額は判明している分だけでも総額1300万円を超えており、個人で負担するには大きすぎるため、そうした大金を使って盗聴依頼する動機があった≪真の依頼主≫はだれなのかという点に関心が集まってきた。 大草側は、この男性を91年2月に役職解任し、その後活動停止処分にした経緯から、この男性に自分が盗聴実行を命令するはずがないなどと主張してきたが、違法盗聴をこの調査会社に安価な割引価格で依頼するための特別年会費360万円が支払われた肝心の時期は、妙観講幹部の男性が役職解任される「以前」のことであり、その時期は男性がまぎれもなく大草の“手足”として活発に動いていたころにほかならない。そのため、大草側の主張はすでに完全に破たんしている旨を当方は主張してきた。
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